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音楽とわたしの4半世紀

こんにちは😊

私は、現在アラフィフでパパ(3歳男児・育児中)を
やっています。音楽を聴き始めたのは中3くらいから
だったと思います。ミュージシャンとしては、
プロ・アマ志向時代を含め25年くらいでしょうか?

ここでは、私が音楽を聴きはじめた中学時代から、
プロ志向でやっていた頃までを、
ざっくばらんに書いていきます🚃


音楽に出会ったころ〜リスナー期

確かCDを買ったりCDレンタル屋さん(死語w)に
出入りするようになったのか中3の頃からでした。

初めて買ったCDは爆風スランプのアルバム
「ハイランダー」だったと思います。
※ヒット曲のRunnerが入ってたからかも?

他には米米CLUBのアルバム「5 1/2」や、
プリプリの「Diamonds」や
宮沢りえの「ドリームラッシュ」を所持してたかな?
※いわゆる8cmシングルかな?折りたためるやつ。

中学時代のクラスの友人が
めちゃバービーボーイズとWinkを勧めてきて、
バービーは確か「freebee」ってアルバムを、
Winkはなんと全部貸してくれまして(笑)

それが、割と気に入っちゃって、
Winkは全部カセットテープにダビングして、
バービーはリリースされているアルバム全部
レンタルしてきてダビングしましたね。
※死語オンパレですみません

あの頃は、プリプリ、渡辺美里が流行ってましたね!

個人的には、ユニコーン、ブルーハーツ、ジュンスカ、
米米CLUBなどをかじりましたけど、
単純に流行ってたから?みたいな感じで、
あまり聴かなかったかな?と。

その後、ついに自分から興味を持ったバンドが
現れます。PERSONZです。

PERSONZは私を形作る原点のアーティストですね。

引用 バイディス公式

当時、TBS系ドラマ「ママハハブギ」の主題歌に
代表曲「Dear Friends」が抜擢され、
初めてこの曲を聴いた時、とてもインスパイアされ、
レンタル屋に急いで駆け込んだ事を覚えています。
即、同曲が収録されたアルバム「NO MORE TEARS」を
借りダビングし、アルバム全曲聴いたとき、
私は何となく「あ、こういう音楽好きかも知れない!」
と思いました。

PERSONZの何が衝撃だったか?って、
初めはシンセだと思っていた音の大部分が
ギターで作られている事でした。
本田毅さん(ギター)のギタープレイ・サウンドを
聴いてこういうキレイな音がするギター好きかもなー
と思いました。バービーのいまみちともたかさんも
ですが、キレイなエッジの効いたギターを弾く
ギタリストが好きだったのかも知れません。

その後、ニューアルバム
「DREAMERS ONLY」が出ると言うので
これも即借りに行きました。めちゃ聴きましたよ。

ちなみに、まだ自分がまさかドラマーになるとも、
バンドマンになるとも思っておらず....
楽器も全く知識なかった頃ですね。

ただ、ドラマーって太ったマッチョさんがやる
イメージでしたので藤田勉さん(ドラム)は
なんて細身でスタイリッシュなんだ!と思ってました。
なんとなくドラムの音が軽やかで楽しそうなリズムに
感じるぐらいな感想を持ってたように記憶してます。


音楽に出会ったころ〜楽器始めました期

高校に進学すると、私は吹奏楽部に入るのですが、
先輩の部長さんが、あるバンドを勧めてきました。

BOOWYです。※出たーー!

引用 ユニバーサルミュージックストア

BOOWYめちゃカッコいいから聴いたほうがよい
と言われ(確か先輩にCDを借りたのかな?)
めちゃめちゃハマってしまいました。
その頃はもう解散してましたので、ヒムロックの
ソロアルバムや、COMPLEXも聴かされ、
私は音楽のカッコよさに酔ってしまいました。

今でもBOOWYは隠れ大ファンです。
※隠れじゃないじゃんw
やっぱアルバムは「LAST GIGS」ですね!
カラオケでは必ず歌いますし、BOOWYは
ライブアルバムがいいですよね!
先輩からテープの伸び切ったブートレグが
いっぱい回ってきましたよw
中でもラスギグのビデオ(当時未発売)は
何度観たことか!!
YouTubeで手軽に観れる時代、スゴイですよね!

あ、そうですそうです、
吹奏楽部のタメにBUCK-TICK好きがいて
彼はベースもギターもドラムも出来るやつで、
音楽室でアルバム「TABOO」収録の
「ICONOCLASM」を叩いてくれたんですね。
しかしながら、パーカッションパートの機材だから、
私を含め、彼はめちゃ白い目で見られてました💦
※私はサックス、私のタメはホルン。

あの時は空気を読めず、すみませんでした。謝罪🙇

引用 ミドルエッジ

彼はめちゃ上手くて、ドラム楽しそうだな!って
初めて感じた瞬間はこの時だったと思います。

でも私は彼のベースをいじるようになってて、
BOOWYをよく弾いていました。

ちなみに、高3の時に文化祭を目指して、
吹奏楽部でメンバーをかき集めて
BOOWYとPERSONZをやるバンドを立ち上げました。
BOOWYの時は私がボーカルを、PERSONZの時は
私がドラムを叩くという変則スタイルで....

そう、私が初めてドラムを叩いたのは
PERSONZになります。

しかしながら、部活のコンクール出場で忙しくなり、
文化祭はおろか、バンドも立ち消えになりました💦

実際ドラムについてまだまだ知識もなく、
まー酷い演奏だったんだと思いますが、
そんな事よりバンドって楽しいなーって感じでしたね。
放課後スタジオで集まったり、メンバーとマックで
だべったり....とにかく楽しかったです。


プロを意識し始めたころ

高校を卒業し、私はフリーターになりまして、
実は最初BOOWYみたいなバンドをやりたいと思い、
ボーカルとして、バンドを結成しました。

同時に作曲に目覚めたのもこの頃からで、
当時26万もしたKORGの01W FDを買って、
シーケンサーで曲をちょくちょく作り始めました。
まー、ボーカルでやっていくのがいつの間にか、
ドラムでやっていく方向になっていきました。

ちなみに、この01WはMacを導入し、
DTMを開始するまで長い間、現役でした。

おそらくこの頃から、女性ボーカルでやりたいなー
と思い描き出していたからだと思います。

まだまだ、その頃はギターやベースも弾いてましたが、
どうもしっくりこなくて....
たぶん、鍵盤楽器なら、コード理論などが、
視覚的にも掴みやすいと思えたのです。
それにドラムは打楽器ですから、作曲とドラムは
並行出来ると思ったのかも知れないです。

また、自分で言うのも何ですが、絶対音感的なものも
持ち合わせているので、作曲をするにはシンセなら
具現化しやすかったんだと思います。

吹奏楽部だったのもあって、楽典を持ってたし、
ポピュラーミュージックのコード理論本や
ピアノのコードネーム毎のフィンガリング本などを買って
完全独学で和音成分を耳や手で覚えて行きました。

あとはバンドスコアは出来る限り揃えましたね。
演奏情報がみんな載ってますからねー。
あれは当時勉強になりました。

ドラムについては、PERSONZの藤田さんのような
プレイヤーに憧れ始めていました。

PERSONZについては、市販されてないビデオを
まーメチャメチャ観まくってましたね!

ネットもない時代でしたので、
書籍などでいろいろ調べ始めた時期だったと思います。
中でもドラムマガジンに「スネア物語」というコーナーが
あって、彼はピッコロスネアを使っているという事を知り、
当時友達がバイトしていた楽器屋まで行って、
Pearl製のホワイトのメイプルピッコロを
即買っちゃいましたねw

藤田さんにどんどん惹かれてった頃は、
藤田さんが出ているドラマガのバックナンバーを集め、
どんな音楽やドラマーに影響を受けたのか?
めっちゃ調べまくりました!

そこで名前が出てきたのが、
テリーボジオ(ミッシングパーソンズ、UKなど)
ニールパート(RUSH)
スチュワートコープランド(ポリス)
が上がってて、、

ミッシングパーソンズ、UK、ラッシュ、ポリスは
当然CDを買いましたし、他にもキングクリムゾン、
ウェザーリポートトニーウィリアムライフタイムなどなど
プログレ、インスト・フュージョン系など
手当たり次第洋楽を漁りはじめた時期でした。

ちなみに、始めて買った洋楽アルバムはなぜか
「プリンス」でしたが(笑)
※ルーツに全く当てはまらないですね(笑)


洋楽に浸かり始めたころ

成人したあとは、仕事場で知り合った友人のドラマーに
ドラマー目線から多くの洋楽を教えてくれました。

▼ほんの一例
ピーターガブリエル(ドラマーはマヌカチェ)
アランホールズワース(ドラマーはチャドワッカーマン)
アニマルロジック(ドラマーはスチュワートコープランド

上記以外にもいっぱいありましたが、
やはり圧倒的に好きだったのはやはり、
藤田さんつながりで、
ミッシングパーソンズ、ラッシュ、ポリスでしたね!
藤田さんの影響力はデカかったですし、
やはり、好きなアーティストが影響を受けた
アーティストから掘り下げるのは当たりますよね!

あとシンバルはパイステがいいなーと確立したのも
この時期だったと思います。
→こちらも藤田さんの影響です。

▼よく聴いたアルバム

▼よく観たライブ映像


本格的にプロを目指し始めたころ

私は当初、PERSONZのような女性ボーカルバンドを
やりたいと思っていましたが、そこにPERSONZを
脅かすビッグなバンドが現れました!

JUDY AND MARYです!

正直なところ、デビュー当時のジュディマリは
ロリータパンク系で楽曲は王道なロックアレンジで
面白みを感じなかったのですが、

ヒット曲OVER DRIVEを聴いたとき、
(確か夜中、テレビで流れてたのかな?)
こういう曲やっるなら、いいかも?と、
アルバム「MIRACLE DIVING」を聴いてみたら、
楽曲の多彩さとアレンジ力の高さに驚いて、
どっぷり浸かってしまいました!
やっぱりYUKIの存在感が凄すぎる!
あと、TAKUYAのプロデュース力と
唯一無二のギターアレンジにやられました。

ジュディマリには楽曲アレンジと、
自分が求める女性ボーカル像を決定づけられ、
新たな時代の幕開けを感じました。
YUKIはジュディマリ解散後も自らの個性を
生かしてソロでも第一線で活躍してますし、
もはやブランドですよね。

あと、パクリと言われたヒステリックブルーなども
ずいぶん聴きましたね!→彼らはどちらか?と
言えばレベッカに近くないですかね?私見ですが。。

それと、椎名林檎が出てきた頃は、
ジュディマリ以上に新時代を感じましたね!
彼女はのちに東京事変を始動する訳ですが、
今や日本を代表するアーティストですね。
林檎さんも、もうブランドですね。


バンド活動にどっぷり浸かったころ

20代後半は自分が立ち上げた、ジュディマリ系の
女性ボーカルバンドを2つやりましたね。

どちらのバンドも楽曲は半数以上書いてました。
ライブも頻繁にやりましたが、メンバーチェンジなどを
経て、残念ながら両バンドとも解散。

その後、楽曲に関与せず、ドラマーとして加入した
バンドもやりました。こちらはもう少しダークな
楽曲で椎名林檎やブランキージェットシティーなどを
意識したバンド
でした。これはこれでドラムプレイに
没頭でき、良い経験ができましたが、残念ながら
私から脱退をしてしまいました。汗

その後、改めてジュディマリ系のロックバンドを
やらないか?と誘いがあり、改めて楽曲制作にも
携わりました。楽曲は私が7割ぐらいでしたかね?
地道にストリートライブなどを、重ねた結果、
初めてまとまった集客、ファンが付くようになり、
ワンマンライブを2回やる事ができ、
CDも数枚制作しましたが、こちらも数年で解散
(その後復活するも、再び活動休止)してしまいました。

この頃が1番忙しく、音楽を楽しむというより、
とにかくバンドを動かす事、ライブをこなす事に
精一杯だった気がしています。

ファンが付いたのは素直に嬉しかったですね!

どちらかというとドラムを褒められるより、
楽曲がイイですね!のほうが嬉しかったです(笑)


まとめ

いかがでしたでしょうか?
ただただ、過去を語る投稿で恥ずかしさもありましたが、
書きながら、とても懐かしい気持ちになりました。

最後までお読みいただきありがとうございました😊

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