【掌編】夜汽車破廉恥編

 欧羅巴ヨーロッパの物語に見られる意地悪な継母は、実は実母だったという物語は、私には真実【ほんとう】らしく思えた。

 苦しいでしょう、とい母は、少女だった私に着物を着せるとき、ぶかぶかの足袋を履かせた。かれという気遣いはありがたくとも、みっともなくて恥ずかしかった。母はそのくせ、胸は和装用ブラジャーなる代物しろもので堅固に封じた。それはウエストニッパーのようで、両サイドはアンダーバストから脇下まで立ち上がり、固く伸びない生地で出来ていた。フロントに連なるホックを閉じて乳房を潰し抑え込んだ。さらにタオルでウエストのくびれを補正した。浴衣であっても襦袢は必須だった。
 足袋を除けば母の着付けを端正で美しいとは感じた。だが女へと育ってゆく娘への牽制か、あちらこちらの若い女にだらしがないと吐き散らすようになった母の声音や顔つきはどうにも醜く、気持ちが塞いだ。女の子の浴衣姿の背に透ける、下着の華奢な肩紐が羨ましかった。羨ましいという目の色もきっと醜くかった。私も私にたくさんの嘘を吐いていた。

 大人は愉しい。
 正装用にと、自身の収入で誂えた白足袋を履く。こはぜを五枚、下から順に掛け糸にはめ入れた。足首を包みながら締め上げていくような感覚にうっとりとする。足親指から甲まで、ぴたりと添った布の表を恋人が指で撫でた。声は抑えたもののたちまち痺れて、全身熱くなった。
 私たちは遊戯の為にラブホテルにいた。二人で軽くシャワーを浴びた後、彼はバスローブを、私は長襦袢を羽織った。チープなピンク色の地に鹿の子絞りの紅梅が散った襦袢は、昔母が見立てたものだった。ひと目であら破廉恥なと感想を抱いた。勿論母には不正直に、可愛いねと伝えた。
 彼は、私よりも色々と試しいようだった。変態とは思わなかったが、むしろ彼が変態であればきちんとお付き合いしたかもしれない。他人の趣味や欲望の、否定や邪魔はし度くはない。好意を寄せる人のものなら肯定し度い。自分がそうされ度いからに違いなく、そんな私を見抜くと彼はやり方を改めて迫るようになった。
 鉄道好きで撮り鉄でもあった彼はあるとき、高価なカメラを新調したと不自然な長さ執拗さで説明した。君のことも撮り度いと続き、断れなかった。
 今度は、列車型の玩具おもちゃを見つけたと云う。君の身体を走らせ度い、一緒に汽車ぽっぽで遊び度いんだの台詞に噴き出した。可愛かった。顔を赤くしながら、彼は真剣だった。甘えてれているのだろう。日中微笑を張りながら胸底を詰めた社会人でいる彼が、私にだけ見せて呉れる顔が愛おしかった。中には入れないでねとだけ念を押した。それから、軽く縛って欲しいとねだった。たぶんくすぐったくて耐えられないと思ったのだ。初心者はどう縛ったり縛られたりしようかと、二人で調べている途中、腰紐を思い出した。衣裳は自ずと長襦袢に決まった。
 クイーンサイズのベッド、白いシーツの上で、五角に畳んだ腰紐たちをもてあそぶ。実家の和箪笥よりくすねた。今も私の着物は実家にあり、結局は着付けも母に任せている。二十歳を過ぎ、就職し、家を出て、いつしか母も母の着付けもゆるんだ。子どもの頃の方が甘えられなかったことを、時折不思議に思う。
 がちゃがちゃと音を立て、彼はカメラをいじり始めた。同意は求められていなかったが、縛るなら当然、彼は撮ると承知していた。
 そして目が合う。手が触れる。

「どう……してほしい?」
「うん。手首を縛ってくれる? えっと、後ろ手で」
「手だけ?」
「じゃあ、足も」
「どういうふうに?」
「いわせたいのね」
「うん」
「……M字で」
「いやらしいね」
「ごめんなさい」
「いや。うれしいよ」

 震えていた。二人とも恐かった。まもなく徐々に彼の震えは別種のものへと変わっていった。私の震えは大きくなった。抱きしめられる。

「こわい?」
「ちょっと」
「ごめんね。撮ってもいい?」
「うん」

 身体は離れた。
 シャッター音が遠くなる。玩具は、何処に。
 列車型の玩具なんて、ほんとうは、ないと思っている。構わないし、分からない。視界はとっくに潤んでいたか、目もつむっていたか。どちらでもどうでもかった。


(了)

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