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七夕の夜に

夫と出会ったとき、義父はもう鬼籍の人だった。
義父を看取った夫の家族の、短いとはいえない介護の年月の日々の話は、多少聞いていた。
聞かされる話を聞く以外のことを、私がしてはいけない、と思った。
私は夫の家族が好きだ、と思った。

義父の「思い出」は、夫よりも、義母の方から聞いているかもしれない。
ある年、義母から山への旅行に誘われた。
若かりし日の義父と義母が見た、思い出の、満天の星空を、孫である息子と、そして私にも見せてあげたいという。
もちろん、義母の息子である夫にも見せてあげたいと思っているであろうが、そこはあえて言わない、よくできた義母であった。

その頃、息子は天体に対して子どもらしい興味を持っていた。
息子と夫と私で、夜、星の見えそうな空を探してうちの近所を歩き回ったが、 街灯だらけで見上げる夜空がロクにないことに改めて気付いたと、義母に話したこともあった。
月蝕や日蝕等の天体ショーは、義母と息子の共通の話題であった。
平日の朝より屋上のある夫の実家にお邪魔して、義母と、息子と、私の三人で、皆既日食を眺めたこともあった。

旅行のお誘いは、ありがたく受けた。
「バスで行ける標高3000メートル」で知られるN岳に、私たちは向かった。
かつて義父と義母が訪れたその山頂にある山小屋に、一泊だけ運良く部屋を取れたという。
日中はバスが出入りし、観光客で賑わう山頂も、五時になる前には全てのバスが去りひと気はなくなる。
私たち家族を含めた、山小屋に泊まるわずかな人たちだけが残された。

山小屋の部屋は簡素であった。
畳、白っぽい壁、窓にかかったごわごわとした無地のカーテン。
目に入る色が少ないために目につく、押し入れの襖を縁どる黒。
折り畳み式の長机、壁にかけられた手のひら大の鏡、電気ポットと湯呑みとティーバッグ。
おふとん。
部屋にある備品はそんなものだった。

「ここは、お部屋を楽しむ宿じゃないから。こんなんで、ごめんなさいね」

義母は言った。
そして、いろいろと説明してくれた。 

「ゴミは全部持ち帰りなの。お水は貴重だから、お風呂では、できれば洗髪は我慢してちょうだい。 トイレも共用なのよ」

私には初めての、山のルールであった。

「お食事は食堂でいただきます。味は、あまり期待しないでね。明日はいいお宿を取ったから、温泉でゆっくりして、お食事もおいしい飛騨牛をいただきましょう」

来る途中で放牧されているのを見かけた、あの牛かしら。
ちなみに、この旅行は義母の招待であり、宿泊費は義母持ちであった。

結果をいえば、この夜は小雨が降り、星空を眺めることはできなかった。
しかし懐中電灯を片手に少し外に出たとき、背後の山小屋以外に明かりはない、漆黒の闇を見た。
それも街では経験できないことであった。

一度寝付いたが、夜中に目が覚めた。
まだ深夜1時であった。
気晴らしにと、部屋を出て、食堂横の自動販売機まで飲み物を買いに行った。 
そばには長椅子が置いてあり、談話コーナーになっていた。
日に焼けた肌の中年男性が一人、腰かけていた。

「Hi!」

声をかけられたので、返した。

「Hi!」 

続けて、あなたと話がしたいが、あなたは英語を話すかと英語で聞かれたが、 あまり話せないと、あいまいな英語と笑顔で断った。

ふと、縦長でワイヤー製の、マガジンラックが目に入った。
『月刊ムー』だけが、ずらりとディスプレイされていた。
わっ、懐かしい。
見たの、中学生の時以来かも。
何十年ぶりだろう。
これは古そうに見えるけど、昔のもの?
それとも、まだ廃刊にならずに、続いているんだろうか。
でも、何なの?
山小屋のオーナーの趣味?

まあ、それきりそのことは忘れていた。



そして。


20XX年、七夕の夜、啓示が降りてきた。



あ~


あの山頂で、アブダクション体験しちゃう人の為のムーか!
あらかじめ、救命道具が置いてあったって訳ね!



(了)


【あとがき】

スーパー・ミステリー・マガジン月刊『 ムー』さん、昨年で創刊40周年を迎えられましたね。
おめでとうございます!
本文中では存じ上げず、たいへん失礼いたしましたm(__)m
今ではnoteでムー民を目指しております。