進撃の巨人_シーズン3_イメージogp_02

2019年春アニメ感想 進撃の巨人 シーズン3-後編

この記事は、もともとは2019年7月1日に掲載予定だったものです。事情はこちら→ご無沙汰しておりました。

 『進撃の巨人』シーズン3の後半戦に入る。
 前半戦は前から書いている通り「アドベンチャーパート」。その世界観における謎、どういう構造になっていたのか、を改めて言及し、解明していくまでが前半戦の物語だ。
 ちょっと頭を使う、ややこしいお話は前半戦にまとめられていたので、後半戦はいよいよアクションが中心。アドベンチャーパートからアクションパートに入る。それも『進撃の巨人』全体を通して見てももっとも大きく、ドラマチックなアクションが展開する大一幕である。

 オープニングからコンセプトがはっきり示されていて、後に描かれるであろうクライマックスシーンがスローで次々と描写される。わかりやすいし格好いい。
 オープニングはこれまでの総決算となっていて、これまでのシーンが次々と流れていくし、これまでの『進撃の巨人』楽曲のフレーズが次々と流れていく構成になっている。「これまでの『進撃の巨人』」が総括させるエピソードであることが、絵と音楽でわかる構成になっている。

 シーズン3前編でいろいろあって、調査兵団はついにウォールマリアへ。エレンやアルミン、ミカサ3人の故郷である街へと進めようとしていた。そこにあるのは、第1話から提示されていた謎めいた「地下室」。そこにあるのは何か――謎だらけだった『進撃の巨人』の全てが解明されようとしている。
 その前に立ちはだかるのは獣巨人と、かつての仲間だった鎧巨人と超大型巨人。この3体をいかに打倒するのか。シーズン3の1~5話までがこのお話だ。

 懸念はしていたことだが、お話の展開が少しもたつく。回想シーンが多く、なかなかお話が前に進まない。回想シーンが終わったと思ったらまた回想シーンが入り、なかなか現在のお話に戻って来ない。シーズン3前編が、むしろ原作内容をほどよく刈り込んでテンポ良く進んで行ったのに対して、後編は傍流が多すぎ。
 前編はエピソードのボリュームが大きかったものを刈り込んでいったのに対して、後編は1シリーズ作るには微妙にボリュームが少ない。もういっそ、放送時間もコントロールしてテンポアップできればいいのにな……という気がしたが。それはテレビ作品であるため、できない話。

 展開の遅さが気になったものの、アクションシーンに入れば見事。いつものように正気ではないスーパー作画ショーが始まる。第1期の頃から、今アニメで一番すごいアクション作画を見るなら『進撃の巨人』といった感じだったが、そのポジションは変わってない。相変わらずスゲー絵が次々と出てくる。
 1話(50話)。壁面側を立体起動で疾走、エレンが一気に跳ね上がっての巨人に変身! 雷が落ちて瞬時に硬質化する。この瞬間の移動感、浮遊感、さらに力強い構図の連発、見事なワンシーンだ。

 これまでになかったパターンとしては、敵との頭脳戦。3体の巨人は「知能のない巨人」ではなく、きちんと意思を持ち、作戦を展開して調査兵団を待ち構えている。戦いの端緒から、3体の巨人が壁の内と外から囲むという構図。調査兵団を挟み撃ちの体勢になっている。
 これをいかにして崩せるのか……言ってしまえばこれだけの話だが、しかし相手は「並の人間には打倒不可能な巨人」。普通の巨人よりも、さらに強力。こちらの手札はエレン巨人のみ。さあ、どうする?

 戦いの中心はエレンというよりも、2人の指揮官がいかに考え、判断を下すか。ドラマの中心が2人の指揮官――エルヴィンとアルミンがいかに“覚悟”を決めるか。ここに最上級のドラマを置いている。
 自らの命を賭けて、若い兵団の全命を巻き込んで突撃を決めるエルヴィン。
 エルヴィンがずっと探し求めていた地下室、謎を解明する答えが目の前にある。その望みを捨てて、その瞬間勝つためだけに突撃する。
 全力の顔。声。結局は獣巨人の投石に体をえぐられるが、崩れる瞬間、視線は“上”を向く(原作ではここ1ページを使った大ゴマだった。アニメでは一瞬だったのが惜しい)。やられていても、崩れかけても、その意思は上を向いたまま。意思を挫くことはできない。
 一方のアルミンは大型巨人を留めるために、その身を犠牲にする。熱波で服が燃え、肌が焼けて、文字通りの黒焦げになってもそこに留まり続ける。この意思の強さ。精神の鉄壁さ。
 この2つの大きなシーンが連鎖する。このシーンを見ている間、私は汗をかき、奥歯を噛み締めていた。
 結果的に超大型巨人は確保し、獣巨人には逃げられる。だが、「絶体絶命」の状況は完全にひっくり返され、調査兵団達は事実上の勝利を得ることができた。

 しかし、ドラマの中心は実はその次。
 瀕死の2人の指揮官。若き指揮官アルミンと、練達の指揮官エルヴィン。1人だけ復活させられる。さて、どっちを復活させる?
 事前セーブ必須の名場面だ。
 エレンもミカサも感情を剥き出しにして、リヴァイに詰め寄る。選択権を持っているのはリヴァイだ。賢明に考えるならエルヴィンを復活させるべきだ。エルヴィンならこれまでに得た知識も豊富だし、大局的に物事を見て判断できる。アルミンは成長著しい、いつか名称と呼ばれる逸材だ……が、まだ若すぎる。
 アクションの大クライマックスが第5話(54話)であるなら、ドラマのクライマックスが第6話(55話)だ。私としても、原作を読んでいて一番見たかった場面だ。
 エレンは絶叫し、リヴァイに感情をぶつける。演技のぶつかり合いというべき、見事な名シーン。名シーンとはそこだけで成立するのではなく、そこに至るまでの“物語”があってこそ成立するものだ。そして第6話(55話)は見事に完成された名シーンと言うべき一幕だった。この一幕のために、これまでの物語があった……とさえ言ってもいい。

 リヴァイが選択したのは……アルミンだった。
 リヴァイがアルミンを選んだのは、エルヴィンの良き友人であり、よき理解者であるから。エルヴィンが負っていた苦悩を知っていた。だからこそ、エルヴィンに安らかな死を与えた。
 シーズン3から、リヴァイは時々エルヴィンを気遣うような素振りを見せていた。“気遣う”といってもリヴァイ流のやり方・言い方だから「両足折るぞ」といったかなり強烈な言い回しだったが。エルヴィンが迷っているのを察して、リヴァイは背中を押す役割を負っていた。それはエルヴィンという人物をよく知っていて、想いを理解していたから。
“死者だけが戦争の終わりを見た プラトン”
 こんな世界では、死こそが一番の救い。苦悩からの解放。残酷な世界だからこそ、リヴァイはエルヴィンに死を与えた。

 シーンはついに、海へ。
 この世界のどこかに、塩を含んだ巨大な水溜まりがある……そう語られてきた。“壁”に囲まれ、家畜の暮らしをしているエレン達にとって、海は「単に見たことがない」ものではなく、自由と解放の象徴。
 『進撃の巨人』物語の最初から示されていた、壁のモチーフ。壁に守られ、何も知らないままの安全な暮らし――安全だと思い込んでいた日常を過ごしていた人たち。その壁のモチーフのついに乗り越えた瞬間。ある意味での『進撃の巨人』のエンディング。

 しかし、『進撃の巨人』はここで終わりではない。自由と解放の象徴である海――その向こうにはやはり“敵”がいた。『進撃の巨人』は最初から示している。安全な壁を乗り越えた向こう側には残酷な世界が待っていると。壁の向こうには巨人が。海の向こうにはまだ見ぬ敵が。この無間の連鎖は終わらない。この世こそ地獄なのだ。
 エレンは物語が始まった当初、「巨人を全部駆逐してやる!!」と叫び、これが最大のモチベーションとなっていた。しかし今やその視点が変わってしまった。巨人駆逐は最終目標ではなくなってしまった。「あの海の向こうにいるやつを全員ぶっ殺したら、戦いは終わるのか?」――その声ににじみ出ていた重さは、なんなのだろうか?
 果たしてシーズン4はアニメで描かれるのだろうか? 私も原作を読んだとき、しばらく「????」だった。何がどうなったかわからない。全く新しい作品が始まったのかと思ったくらいだ。これ、どうやったらアニメにできるんだ? アニメにしたところで視聴者はついてこれるのか? 2度3度読み直してやっとこさ理解できたが、初見で終わる、今はむしろ「ショー」としての位置づけが大きいアニメでどう受け入れられるのか。
 『進撃の巨人』が示していた“謎”の答えは、壁の向こう、地下室の中(あるいは壁の中)、それだけが全てではない。本当の謎は海の向こう側に。ここまでアニメで追いかけてきた人たちなら、その謎を知りたいと思うのではないだろうか。

 ※ シーズン4、アニメ化するみたいです。マジか。


とらつぐみのnoteはすべて無料で公開しています。 しかし活動を続けていくためには皆様の支援が必要です。どうか支援をお願いします。