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『家事・育児』をミクロでみてる人とマクロでみてる人

いろんな人が、共稼ぎ世帯の家事(&育児)の負担の解決方法を考えては、悩んでいらっしゃると思う。うちもしかり。仕事の形態も違えば、子供の人数・年齢、住んでいる場所も違うから誤差はあると思うが、なるべく共通化できそうな点に絞って書いてみたいと思う。

「俺はゴミ出しやってるじゃん」とか「買い物たのまれたら買ってきてるよ」、「言ってくれれば洗濯物だってたたむよ」とか、そういう話を聞くのだけど、そうじゃない感をもってしまう。なんでそう思うのかを考えていたのだけど、主体的に家事をしている人(多くの場合は女性側)と、そうでない人の視点が違うのが1つの原因ではないかと思う。

先日、こんなことがあった。

その日は、妻の仕事が遅く、妻を迎えにいって帰ってきたのは11時。とても疲れていたので台所も片付けず、妻が風呂に入っている間に寝落ちしていた。
翌朝、目覚めたのは7時。妻と子供を起こして、『前日に風呂に入ってなかったのでせめてシャワーには入りたい』と思いながらリビングに行って驚いた。
前日の宿題が机の上にそのまま、テレビの前には脱ぎ散らかした服がそのまま。朝食の用意をし、台所の片付けをしながら、
「筆箱や宿題がそのままってどういうことなの!」
と、子供たちに雷を落とす。さらに最悪なことに、その日の夜は来客の予定があったので、せめてリビングは片付けておかないと格好がつかない。朝に弱い寝起きの妻にも声をかけ
「これじゃ、お客様よべないよ!?」
と、家族全員に片付けを促す。ある程度、片付けたらようやく自分の支度。シャワーを浴びようと思ったら、洗濯物がまわせるぐらいの衣服が脱衣籠の中に入ってたので、脱ぎ散らかしてある服を片付け、ついでに洗えそうなタオルを取り換えて洗濯物をまわす。ゴミの日であれば、子供にゴミを出す指示をする。
「もうやる事は終わったよ」
と、いう子供に
「歯磨きしてないでしょ!」
「終わったなら新聞とってきて!」
と、やるべきことを指示する。毎日おなじことを言ってるんだから、少しは自分で考えてくれ・・・と思いながら、朝の7時から7時半の30分の間に終えなければいけない

1つ1つの家事をこなすのは、大変だけどそんなに苦ではない。問題なのは、全体の家事の進行を分かってる人間が自分以外にいないという負担だ。仕事でも、業務を「やらされている」と感じている部下に指示を出すのは、本当に疲弊する。当事者意識の欠如したプロジェクトを進めるのは並大抵の労力では無い。「全体をみて自分で考えてみたのか?!」、と言いたくなる。指揮系統が複数に分かれるのは混乱を生じさせかねないが、一方で、ずっと指揮し続けると溜まるストレスも半端ない。

結局のところ、それらの意識の違いは、立場が違えば見ているものが違う…だから混乱が生じていると思うのだ。だが、少なくとも共稼ぎ世帯では立場が違うという図は不公平感の温床にしかならない。共に当事者意識がないと、この問題は解決できないと思うのだ。
一方は、ゴミ捨てはちゃんとやってるし、送り迎えもやってるし、ちゃんと家事や育児を手伝ってると言う。手伝ってるという言葉から、当事者意識の欠如がうかがえると思うのだ。手伝ってほしいのじゃない。自分も当事者である認識をもって考えてほしいのに、そうじゃないから苛立ちが尽きないのだと思うのです。

(追記1)うちの妻は当事者意識をきちんともって家事・育児をやってくれてます。ただ、朝に弱いので、朝はドタバタすることが多いですが、いつもは自分の苦手な、見えづらい家事をきちんとやってくれてるので尊敬しています。


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