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サイゼと芸者とアラサーテレビディレクター


芸者として働いている友人がいる。
私たちは高校生の頃からの付き合いだ。


ロックとパンクと椎名林檎を愛する女子高生だった彼女が
「私 芸者になる」と宣言し、私が「なんのボケやねん」とツッコミを入れてから早10年。
彼女は本当に花柳界に入り、厳しい修行を経て芸者になった。
今や、源氏名も着物姿もすっかり板についている。
踊るときの流し目、グラスに写る口紅、白いうなじ。お座敷の彼女は悶えるほど色っぽい。

でも休日は素の彼女に戻る。
「何食べたい?」と尋ねると、だいたいファーストフードか韓国料理をリクエストされる。普段 仕事で高級な料理を多く食べているから。
すっぴんでキムチ鍋をつつく彼女は、堪らなくかわいらしい。
サイゼのたらこパスタをもりもり頬張っているのもかわいい。
微笑ましく 観察していると、突然
私のこと源氏名じゃなくて本名で呼んでくれるの、もう親とあんただけなんだよ〜。夜職してるとプライベートの友達なんてできないからさぁ〜」なんてにんまりする。


***


彼女は片付けが苦手だ。家の中はいつも物で溢れている。

数年前、彼女の引っ越しを手伝いに行った。
引越し当日だというのに段ボールはほとんど開いたままで驚愕した。ずぼらにも程がある。
ブランド服の山を慌てて詰め込んでいたら、現金入りの封筒がたくさん出てきてまた驚愕した。


「ねぇ、普段着のお着物ってどこにしまえばいいと思う〜?」
「カツラって段ボールに入れないほうがいいよね〜?」などと聞かれ
着物もかつらも持ってへんから知らんわ!!!と突っ込みながらなんとか詰め込む。



引越し業者さんが来ると、
彼女は口元に指をやり、小首をかしげて
「お兄さん、よかったらテレビ台組み立ててくれません〜? 私こういうの苦手でぇ…」と甘えていた。さすが接客業のプロ。



****


今年の1月。
彼女から「また引っ越すので手伝って欲しい」と連絡が来た。
もちろん承諾。
が、直前になって急遽、キャンセルに。


電話口で彼女はモゴモゴ喋った。
「あのさー…えっとさー…コロナ、ちょっと増えてきたじゃん?」


それは、まだオミクロン株が拡大する前の 1月の初め。
東京の感染者数は100人にも満たないときだった。

「いやーもちろん体調は問題ないんだけどさー、んー、 私は仕事柄どうしてもいろんな人と接してるからー…万が一迷惑かけたら申し訳なくてー、んー…」

いつもの緩い喋り方に、優しさが滲む。いい友達だな、と思った。



****


私は、彼女をドキュメンタリーの対象として撮ったことがある。
大学の卒業制作として、当時新人芸者だった彼女にカメラを向けたのだ。

「斜陽産業」と言われる花柳界で必死に生きぬくため、彼女はもがいていた。
どんな踊りを覚えれば
どんな接客を覚えれば
どんなメイクやしぐさや喋り方をすれば
芸者として生き残れるか悩んでいた。

かわいらしい芸者、色っぽい芸者、お酒が強い芸者、話が上手い芸者、いろんな先輩がいる。
 私は、どんなキャラになればいいんだろう」


すっぴんで眉毛がないまま虚空を眺める彼女は、能面のように感情が読めなかった。





***

結局、引っ越しの手伝いは遠慮し、
繋いでくれたビデオ電話で、荷物の搬入を見届けた。
今回はちゃんと事前に荷造りを済ませ、テレビも自分で設置したようだ。えらい。


彼女は家にいるとき、いつも崇拝する椎名林檎の曲をエンドレスで流している。

「あたしの名前をちゃんと呼んで」

彼女が小さな声で歌うたび、なぜか私は少しだけ心が痛む。

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