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なんにもいらない

 何にもなりたくないし、何も残したくない。常々そんな風に思っていて。そりゃ昔は、何かになりたいと思っていただろうし、小学校の卒業文集にも「将来の夢」を書いたはずだけど。何を書いたのか、もう忘れてしまった。

 何も残したくないってのは、転勤の多い仕事柄、荷物を減らしたいという意味もあるけど。成功や偉業みたいな「名を成す」系は遠慮したいって話。まぁ、そんな心配しなくても大丈夫なんだけど。ただ、不名誉なことで名が残らないようにしたいとは思う。

 「君には気概が足りない」「向上心のない奴は馬鹿だ」と言われたこともあったけど。自分からすれば、ない袖は振れぬというだけの話で。だいたい誰かを押し退けたり、陥れてまで高いところに登り、どうしたいのだろう。馬鹿となんとかは高いところが好きですよねって、心の中で反論してみる。

 なかには目の前に立ちふさがり、俺を乗り越えていけみたいな人もいる。でもそれって必要なのかな。壁があるのなら、避けて通ればいいじゃない。逃げて逃げて、本当にどうにもならなくなったら、そのときに戦えばいい。一応、牙は研いでおいてさ。負け犬でいいの、闘犬にはなりたくないから。

 「爪跡を残したい」なんて言葉を聞くと、すごいなって気持ちと一緒に、胸がザワザワしてしまう。嫌悪感とは、憧れの裏返しだったりするもので。そうなりたいと思う自分もどこかにいるのだろう。自己矛盾を抱えながら、高いところにあるブドウをにらみつける。あれはきっと、甘いやつだって。

 それがわかっているくせに、手は伸ばそうともせず、管を巻いてるだけ。口を開けたまま、恵みの雨が降るのを待っている。オアシスを探そうなんて気概は、持ち合わせていないのです。

* 

 誰ともつながりたくないのに、ひとりぼっちはさびしくて。人里におりる飢えた獣みたいに。空腹を満たしてくれる何かを、いつだって探している。誰かで自分を満たそうなんて、どうせ破綻するとわかってる。だとしても、軒先で雨宿りするみたいに、ちょっとだけ温まりたいなんて思ってしまう。行きずりの、袖の振り合い。

 何かを手に入れると、今度はそれを失うのが怖くなるから。だからもう、たくさんはいらない。ほんのちょっと、糊口をしのげるくらいでいいから。何者かになって、何か残して、何かを手にする。自分のため、誰かのため。

 そうやっていつか、もうなんにもいらないと、心の底から思える日まで。


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