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やさしさって

 自分が傷ついたからこそ、その分、誰かにやさしくなれる。そんな言葉を聞いたことがある。痛みを知るからこそ、他者の痛みさえも想像できると。

 確かにそれは尊いけれど、立派なことだけど。望ましいかと問われると、正直、僕にはわからない。知らないで済むなら、痛くない方がいいでしょ。そんな風にも思ってしまう。

 痛みを知らずに生きられたのなら、どんなに楽だろうか。幸せだろうか。とは言え、それが「生きている」と呼べるのかも、僕にはわからないけど。

 世の中の少数派、マイノリティと呼ばれる人たちは、きっと色んな場面で傷ついているのだろう。

 例えば、左利きの人。日常生活の中で、不便な生き方を強いられている。駅の改札、刃物を扱うとき、食堂のカウンター席。親が左利きだったから、割とすぐに気づいてしまう。不便そうだな、大変だろうなって、よく思う。

 例えば、性的な少数派。普通はこうでしょ、みたいな圧力を感じながら、生きているのだろう。直接的になにかされることあるだろうし、間接的な、無自覚な言動に傷つくこともあるんじゃないかと思う。

 例えば、ヴィーガン。食生活だけでなく、ライフスタイル全体を通して、動物性のものを排除する人。人間以外の動物への差別をなくそうとする人。現代社会で生きていくのは、苦しくて仕方ないだろうに、なんて思う。

 そんな話を以前、ゲイでヴィーガンの友達にしたことがある。もちろん、彼は左利きだ。

 二人でご飯に行くときは、決まってヴィーガン料理の店。探してみると、意外とある。でもどこに行っても、友達はお店の人と顔なじみで。まだまだお店が少ないのか、彼の顔が広いだけなのか。きっと両方なのだろう。

 あいにく、その日はカウンター席しか空いていなかった。横並びで座る。友達は左、僕は右だ。こうしないと、箸を持つ手がぶつかってしまうから。

 ほらこれ、お肉みたいでしょって、はしゃぐまわりのお客さんを横目に、僕は切り出した。

 「ゲイでヴィーガンって、なんていうか属性マシマシだよね」

 「羨ましいだろう?」

 そう言ってドヤ顔をみせる。思わぬ切り返しに、吹き出しそうになった。そんな僕をみて、友達は満足そうに続けた

 「真面目な話をするとさ、好きな人が異性じゃなかったってだけ。あとは動物が好きだから。犬猫と暮らしてるから。牛や豚、食べたくないなって。それだけだよ」

 そう言って、いつものように笑う。シンプルだと、僕は思った。

 どうやら小難しく考え過ぎなのかもしれない。下手の考え休むに似たり。世界はもっと単純で。シンプルなものこそ美しい。

 何も言わなくていい。ただ一緒にいてくれるのが、やさしさなのかもね。

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