VRChatで誰かを好きになること
───最近、ソーシャルメニューを開く回数が増えた
理由はわかっている
「あの人」がログインしてないか、いつも気になっているから
”執着されるのは嫌い”
”依存心の強い人は苦手”
”自分で自分の心を満たせ”
なんて偉そうなことを書いたくせに、自分だって執着してるよね
そう自嘲しながら、あの人を見つけると、僕はそそくさとステータスを緑にする
joinしてもらえることに期待して───
自分からjoinする勇気はないし、inviteなんてもちろん無理
それにあの人は、苦手なフレンドに追いまわされて
怖い思いをしていたのだから
ずっと苦しんでいたのだから
僕が追いかけたりしちゃいけない
そうやって今日も、”臆病な自分”を正当化している
───「この人」に会えた、それがただ嬉しい
やさしい声、おだやかな口調に、癒されていく
心に刺さっていたトゲが、するりと抜け落ちるように
寄せては返す感情の波が、まるで夕凪に変わるように
話すのが遅い僕は、聞き役にまわることが多いのだけど
そんな僕でも話しやすいよう、待っていてくれる
僕のつまらない話を、うんうんって聞いてくれる
いつだって寄り添ってくれて、安心させてくれる
この人の、そういう「人間性」に触れられることが嬉しい
(…それで、僕の方は何かしてあげられているのかな?)
そんな不安も頭をよぎるのだけど
───今日も「この人」に会えた、それがただ嬉しい
アバターがどうかなんて、本当は、些細なことかもしれないけど
Unityと仲良くしたいって、がんばる「あなた」を見ていると
何かしてあげたいって気持ちが、自然とわいてくる
Unityとわかりあえたって、はしゃぐ「あなた」を見ていると
自分のことのように嬉しくて、胸がいっぱいになる
そんなあなたを、もう少しだけ見ていたい
それがただのエゴで、忌避すべき執着だとしても
自分の心は自分で満たさなきゃって思っていても
あなたと過ごすひとときは
嫌でも僕に痛感させる
誰かの存在でしか、満たせない部分があることを
そんな矛盾だらけの自分に、半ばあきれながら
次はいつ会えるだろうと、考えてしまう
あなたに会えない日が続くと
雨の中、ひとり立ち尽くしているようで
それさえも楽しいと思うくらい
また会えるのが待ち遠しい
VRChatをはじめたのは、このためだったのかもしれない
なんて思うくらいに
VRChatで「誰かを好きになる」って、こういうこと
こんな風に、自分を無条件で受け入れてくれる人がいたら。
好意を抱いてしまうのも自然なことですよね。
でもこれは、「いままで満たされなかった感情や欲求」を、他の人に向けているだけ。心理学ではそう解釈するそうです。
僕の場合、「自分の親」に受け入れてほしかった、安心させてほしかった。そういう気持ちがあって、それをいま、目の前の「優しい人」に向けているだけなのかもしれません。
そう考えるとなんだかすごく恥ずかしくて、記事を消そうとも思いました。でも、ここまで含めて誰かの役に立つかもしれない。それに自分にもこんなことがあった。そう覚えておくために、しばらく残しておくことにします。
これもまた、自分のことばでしか表現できないものだと信じて。
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