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アバターと自己認識(雑考)

――あなたはしにました

 はじめて遊んだロールプレイングゲームの話。モンスターに倒されると、こんなセリフが出たのを覚えている。びっくりしたし、なんだか怖かった。あなた?僕が死んだの?って。

 「魔王を倒す予言の若者、それが『あなた』なのです」。そんな説明が、パッケージに記されていたのも印象的だった。ロール(役割)をプレイするゲームってことなんだよね。勇者というロールを。

 今でこそRPGは主要なジャンルだけど。昔はそうじゃなかったのだろう。まずはどんなゲームなのか知ってもらうために、プレイしてもらうために。当時の制作スタッフの皆さんは、相当苦労されたことと思う。

 ときに、VRゲームをプレイしていても、アバターをもう一人の自分とはどうにも思えなくて。その理由は、リアルの自分とのギャップが大きいからというより、僕にとってアバターは、ゲームのプレイキャラだから。

 けれども若い子たちと話していると、どうやらそうとは限らないようで。これはもう一人の自分であり、確固たるアイデンティティーを持っている。そう認識している子もしばしば見かける。アバターに対する、認識の相違。はじめてVRに触れた「年齢の違い」から来るのだろう。

 どちらの認識が優れているという話ではないけれど。正直うらやましい。アバターをもう一人の自分と思えたら。どっぷりとVRの世界に浸れたら。もっと楽しいかもしれない。それこそ、ロールを演じられたらなら。だけどあいにく、僕はどこまで行っても、自分から逃げられない。RPGのボス戦と同じというわけ。

 将来的にはアバターも、ひとりの人格として認められたりするだろうか。権利を獲得したり、あるいは何かで規制されたりするだろうか。そのうち、僕みたいな半端者は「オールドタイプ」とか言われちゃうのかも知れない。「え?今どきアバターを自己として認識できないんですか?」とかなんとか言われたり。

 写真を撮るために、アバターをとっかえひっかえするせいかもしれない。訪れたワールドにあわせて、ストーリーや場面を想像し、アバターを選ぶ。そんな過ごし方を続けているから、アバターへの自己認識が育まれない。

 「なりたい自分になれる」というのは、VRの世界でよく耳にする言葉。ただ、いくら見た目が変わろうと、中身まで変わるわけじゃないから。

撮影ワールド:Aquarium Wall by: momijiAC さん


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