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父との思い出/『組曲虐殺』を添えて

あらすじ

 小林多喜二は幼き時より、貧しい人々が苦しむのを見て、彼らの力になりたいと考えていた。彼は『蟹工船』を始めとする本を書き、社会に不公平を訴えるが、特高警察に目をつけられてしまう。

  彼を心配する許婚や姉、恋人。彼をつけ狙う特高の2人組。多喜二を中心とする彼らの関係は次第に奇妙な信頼関係へと発展していく。しかし破局の時はすぐそこに迫っていた。 

感想  

 あなたにとって、かけがえのない光景とはなんだろうか。僕は嫌いな父の思い出だ。父は仕事一筋で真面目だが、私生活はだらしない人だった。不倫を繰り返した挙句、逃げるように家を出ていった。しかし、僕が彼を嫌いになったのは、ずっと些細な事件だった。

 小学6年生の冬、受験で志望校に落ちた僕は、大泣きに泣いていた。その学校に行きたい理由は特になかったけれども、ここぞとばかりに涙を流した。家族も皆悲しんで、お通夜のような様相を呈していた。父も泣いていた。彼は泣きながら僕を「可哀想だ」と表現した。「どうせ落ちるなら、もっと遊ばせてやればよかった」と言った。僕は途端に涙が引っ込んだ。

 当時僕は勉強が好きだった。知らないことを知るのは楽しかった。できたら褒められるのが嬉しかった。正直、受験の結果は二の次だった。しかし、彼の一言は、僕が受験のために頑張ってきたように表現したのだ。自分の今までが矮小化されたように感じ、言葉にならない失望を抱えた。それから、彼と僕の無理解の溝は年々広がっていき、ついには僕は彼を嫌いになった。 

 父のあの時の言葉が、僕が学んだり表現する為の原動力となっている。あの押し付けがましい可哀想を思い出しては、自分は自分の知りたいことのために勉強しようと決意する。

 『組曲虐殺』の劇中で小林多喜二は語る、物を書くときには体ぜんたいでぶつかって書かなきゃいけない、と。体ぜんたいでぶつかって書くとき、彼の胸の映写機がカタカタカタと音を立てて回りだす。そして、その人にとって、かけがえのない光景を、原稿用紙の上に、銀のように燃え上がらせるのだ。僕はそのようにしてしか書けない。モノを考えることすらできない、と。

 俳優の演技も井上ひさしの脚本も素晴らしい劇だった。しかし、それ以上に多喜二の言葉が深く心に残った。彼は僕自身の胸の映写機を必死に回す元気をくれた。悩んだり、立ち止まったりする度に、僕はこの劇の言葉を思い返すだろう。かけがえのない光景をしっかりと抱きしめて、体ぜんたいで書いていく。

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