かわいくない女は女ではありませんか?
私がうっかり差別をしないため、私がうっかり差別をされないため、ウィキペディアに身体的性別とは無関係に存在する自認する性別である「男」「女」の定義と差別的ではない正しい扱い方を書いてほしい。
どうして何の根拠もないのに、みんな易々と「心の性別」などというものを受け入れられるのだろう?
「心の性別」とは「信仰心」と同じといえばまだわからなくもない。でも、トイレはお祈りをする所ではない。私にも信仰心(ブッディストなので)はあるが、トイレでお祈りをするという感覚はない。宗教は時に自分が何者であるのかを啓示してくれるが、トイレで一体誰に向かって自分が自分であることを示すのだろうか?
・雌体にだけ決定権のない「性別の定義」
我々雌の体を持つ人間は雄に異性と認められて初めて女性という性別を持つとでも言うのだろうか?
トランスジェンダーだって、Xジェンダーや無性別だって「女性扱いが嫌」だとか「女性」が何を指すのかわからない」などと言ってトランス男性やXジェンダーを名乗るのは雌体生まればかりではないか?「男性扱いが嫌」や「男性」が何を指すのかわからない」という理由でトランスする男性はあまりいない。特に「男性」が何を指すのかわからないなどとは聞いたこともない。
雄体生まれのトランス女性はなぜか明確に「女性」は可愛くてチヤホヤされるもの」だと確信してトランスしたりしているではないか?
なぜ雌体だけが「女性」の定義を見失い、雄体は「男性」の定義を見失わず、かつ「女性」の定義を確信できるのか?
・性自認による区別が誰も傷つけないなんて嘘
「自由」などという表面上気持ちのいい言葉で雌の身体を持つ人間の生まれてきた身体を否定し、無いものにされていいのだろうか?
「セックス(身体的性別)」であるはずの区別を「ジェンダー(性自認)」で上書きされる度に、雌の特徴を持ち生まれてきた私の身体を踏みつけられているように感じる。自由な性自認による区別が誰も傷つけないなんて嘘だ。
性自認という概念ができても、それ以前からの身体的女性者に対する踏みつけは平然と行われている。当たり前すぎて気づきもしない。
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