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日向坂の推し活におけるSNSへの向き合い方の葛藤

約1年前に始めた日向坂用のTwitterアカウント。
未だにグループやメンバーが発信する各コンテンツへの関わり方が難しいなぁという気持ちや、意識していることのちょっとした記録。

※注意
「本当はこうするべきだ」のように誰かに強制をする気持ちは微塵もありません。あくまで、自分の悩みを記録したものです。万一、面倒な広がり方をしたら、黙って下書きに戻すか削除します。

共感とコンテンツ価値への影響との葛藤

Twitterを始めて

日向坂用のTwitterアカウントを作成したのは2022年6月28日。
下記の、自身の記事でも触れたように、
"自分にとって、日向坂のアイドルとしての姿はどんな風に見えるのか"
と興味を持つようになったきっかけの、渡邉美穂さんの卒業セレモニー後。

その日は、自分でも驚くほど号泣した。
泣きすぎて頭痛がひどかったくらいには。
その日の気持ちを思い出すと言葉が止まらなくなるのだけど。

"もっとメンバーの情報を知りたい、なるべく見逃さないようにしたい"
そんな気持ちが圧倒的に強く、
"せっかくなら誰か感動を共感できる人がいれば"
という気持ちは二番目だった。
正確には共感できる人が"もしいたら嬉しい"くらいな気もする。

元々は、日向坂に限らず"アイドルファンは熱のある者同士以外には排他的である"という偏見のような印象があったし、Twitterをやっている上で不満や暴言が目に余るようであれば早々にやめようと思っていた。
そんな風に、ファン同士で共感のしやすい雰囲気などはあまり無いと思っていた。

共感のしやすい雰囲気

勝手な想像として、基本的には各々が自分の単推しのメンバーの良さや思いについてつぶやき、推しが同じ相互フォロー同士のみで、共感のリプや"いいね"をするのかと思っていた。
しかし、Twitterを始めていると、想像していたよりはずっと共感がしやすい、新参者にも優しい雰囲気と文化がそこにはあった。

特に、"**talk"や"**blog"などの特定のタグへの反応。
有料コンテンツであるメッセージアプリや、公式のメンバーブログ。それらの投稿に対する各々のファンのつぶやきが明確であり、気持ちとして共感がしやすい。
そして、相互フォローであろうが無かろうが、共感が得られる者同士で勝手に"いいね"をしていく、もっと排他的なコミュニティだろうと偏見があった自分にとっては、意外な文化であった。

その通称タグツイであるが、もちろんタグツイをしている全員が全員、誰にでもいいねをしているわけでは無いと思う。また、不特定多数のオタクと群れるタグツイは嫌だ、という人たちも一定数存在している。
それでも、新参者である自身にとっては、何かしらのメンバーの発信に対して、今までできなかった一定の人数との何かしらの共感がしやすい文化があるのは救いであり、少しうれしかった。

また、Twitterを始めた時点ですでに数名のメッセージを購読中であり、特に松田さんと髙橋さんの「おやすみこのちゃん」「おやすみくにん」、影山さんのように"おはよう・おやすみ電話"など、ほぼ恒例のメッセージや着信があるメンバーを購読していたことが大きかった。

おそるおそる、それらの恒例のメッセージに対して自分も投稿してみたら、想像していたよりもずっと多くの反応があるし、普段のツイートの傾向が近い数名の方々との交流ができるようになっていき、偏見によって交流することを構えてしまっていた分、安心感が大きかった。
日向坂用のTwitterのアカウントを始めて良かったと思うことができた。

コンテンツ価値への影響との葛藤

ただそれでも、グループやメンバーが発する各種コンテンツに対しての反応には、すぐに別の葛藤が生じるようになった。
それは、各種コンテンツ価値への影響に対する葛藤である。

おそらく、ホームページなどのアクセス数向上対策とか、SNSを使ったマーケティング調査とか、そういった関連にも少しだけ携わってきたため、わずかながら技術的な知識があることも影響はしている気はする。

コンテンツに含まれている写真や内容を基にツイートなどをすることで、少しでも「コンテンツ内に込められていたメンバーの思いを消してしまっていないか」とか、「本来の価値を損なってしまっていないか」とか、そんな葛藤が生じてしまう。

「有料コンテンツの切り抜き動画がアップされているのはおかしい」
のような、一般的な指摘が発生するケースとは異なり、人によって考えが異なるだろうし、正直なところ若干地雷要素を含んでいることから誰かに相談できることでも無いため、中々抵抗が無くならない

以下、そんなコンテンツごとの自分なりの葛藤を記録しておきたい。
ただし、ここでは著作権がどうこうとか、そういう要素には触れない。

各コンテンツへの反応の葛藤

1.メッセージアプリの"**talk"

反応をすることに対し、個人的には最も抵抗が少ない。

あくまで、メンバーの発信がきたタイミングで、思ったことを投稿することでファン同士で共感が可能となる。
もちろん内容として、卑猥な表現や攻撃的な表現を慎むべきであるという一般的なマナーは存在するが、それはこのコンテンツへの反応に限ったことではない。

メッセージアプリは有料コンテンツであることから、メッセージの切り抜きの写真や、スクショ写真がアップされることは無い。それら以外に、当初のコンテンツ価値を損なうことは難しいし、だからこそコンテンツ価値への配慮の葛藤があまり生じない

むしろ、Twitterなどで他のメンバーのメッセージの反応を見ているうちに自分も増やしてみた、という人もたまに見る。そういう面では、むしろコンテンツに対してはタグによる反応がプラスに働いている要素も少なからずあると思う。

2.メンバーブログの"**blog"

未だに自分がどのように反応したいかが定まらない。

基本的にブログは、ファン全体に向け、メンバーが"言葉"を主体として発信するコンテンツでありブログ中の写真は副次的なものであると個人的には考えている。
あくまで写真は、文章をイメージしやすいものとし、ファンを引き付けるためのものであると考えているためである。

また、ブログの文章は、一部切り抜きをしてしまえば、その意味がすり替わって伝わってしまうことが往々にして生じる。前後の文章があることで、意味は同じでもより強く読者に伝わることも多い。

だからこそ、反応が難しいと思ってしまう。
ブログの写真だけを使って反応しても、ツイートを見た人がブログを読みにいこうとする機会を無意識に奪ってしまうかもしれない。だからと言って自分が良いと思った文章の箇所を切り抜き画像にしても、曲解する恐れもあるし、文章全体の価値を下げてしまうのでは、と思ってしまう。

迷った挙句、公式アカウントのブログに関するツイートを待ち、なるべく「ブログそのものを読んで欲しい」という思いを残し、タグを付けつつ引用RTをして思ったことを少しだけ述べる、という形に若干落ち着きつつある。

3.Instragramの"**gram"

ブログ以上にどのように反応すればよいかわからず、反応自体を避けてしまっている、個人的には最も難しいコンテンツである。

というのも、Instagramの特色として、基本的には文章ではなく、ほとんどが写真や動画のみで情報が占められているからである。
そのためブログ以上に、それらの写真や動画を使ってTwitter上に投稿してしまえば、直接見に行く価値が無くなってしまうし、価値そのものを奪ってしまう気がしてしまう。

そして細かいが、閲覧数の減少による影響も生じる。

Instagramは、共通のフォローの傾向が高いアカウントに対し、閲覧数やいいね数の多いものがおすすめとして表示されやすい(Twitterとは少し異なる表示方式)。
例えば櫻坂さんや乃木坂さんのメンバーのアカウントをフォローしている人に、全体の閲覧数が多ければ、日向坂メンバーの投稿がおすすめとして表示される可能性が高くなるということである。

よって、少しでも色々な方がメンバーを目にする機会を増やしたいので、なるべく元々の閲覧数を下げたくないと思ってしまう。

さらに反応についても、Instragramの通知機能が正常にリアルタイムで働かないことが多いせいで、タグだけで投稿しても、何に対して反応しているかがファン同士で食い違ってしまう気がしてしまう。
YouTubeほどの埋め込み対応もしていないため、URLだけで反応しても内容が良く分からず共感は難しい。

結局は反応自体を避けてしまっている
Instagram上で自身が"いいね"を押すだけに留まっている。

4.外番組を含む番組アカウントに対して

葛藤自体はほとんどない。
ただ、共感しあうという側面ではあまり考えていない。

番組アカウントのツイートは、メンバーが自身をよく見せるためではなく、番組側がメンバーの写真を使い目を引きつつ、特定の情報を告知するために使われている。
よって、それらの写真を使い自身のツイートでメンバーの良さを伝えるのは、元々の情報価値を損ねている側面が大きいと思われる。

なので、それらの写真の良さを共感しあうというよりは、その情報自体を拡散するという目的で、RTか引用RTに絞るようにした。

最後に

つらつらと各コンテンツへの反応の葛藤を述べたが、上記では触れていない
「万一、メンバーの目に入ったとしたら」
という観点からもどういう反応にするべきか考えてしまう。

全方位から目に入るからこそ、気を付けるのが望ましい観点は多い。
だが、気を付けすぎれば反応自体が難しくなる。
やっていくうちにまた色々と反応方法を変えていくかもしれない。

できることなら、運動や楽器の基礎練習のように、身体に覚えこませてしまい、頭を使い過ぎずに反応できるようになっていきたいものである。

とらん

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