席を譲る人に席を譲る

私的電車あるある第一位は、乗車してきたおじいさん、おばあさんをお年寄りと判断して席を譲っていいのか迷う、ということだ。

明らかなお年寄りや、荷物が多いお年寄りなら迷わない。ただ、お年寄り判定に迷うご老人だとすごく迷う。迷った挙句席を譲ったら、「結構です。」と断られることも多い。また、迷ってる間に他の人が譲り、おばあさんが嬉しそうに座っているのを見て、ほっこりと情けなさの板挟みにあうこともある。

そういう時には、席を譲った人に自分の席を譲りたくなる。

先日もその思いに駆られていた、しかも史上最高水準で。本当に席を譲ったサラリーマンに自分の席を譲ろうかと思って腰が1センチくらい浮いていた。

いつもは頭の片隅で「あの人に席を譲りたいなあ」と思う、実現させるつもりはないけど。そのくらいのレベルだ。英語のhopeとwishで言えばwishの願望だ。しかし、先日はhopeだった。本当に実現させようと思っていた(結局やばい人だと思われるだけだと思ってやめた)。しかし、なぜ急にそんなにやる気が起きたのか。それは、その光景は周りの人から見たら面白いのでは?クスクスさせられるのでは?と思ったからだ。私は人をクスクスさせるのが好きなのだ。その感情が最近自分の原点を知ることで強くなってきている。

席を譲る人は沢山いる。しかし、席を譲る人に席を譲る人などいない。だが、筋は通っている。「面白い」とは一見変でも筋が通っていることだと思う。親切なことをした人は報われるべきだ。このサラリーマンに席を譲るのは私の中では筋が通っているし、もしかしたら自分が世の中に対して席を譲った人にも席を譲るという文化を創出できるかもしれない!

そうして気分が盛り上がったまま、実際に席を譲る自分の姿と車内の様子を想像してみる。
サラリーマンの肩をとんとん、と叩き、「椅子どうぞ」と言う。サラリーマンの戸惑う表情が想像できる。そんなやりとりをする間に他の人に座られるかもしれない。それは最悪の結末だ。またうまくいった場合、車内の他の人はほっこりするだろうか、面白がるだろうか、Twitterで呟くだろうか。バズったりするだろうか!

だが私は知っている。こうやって想像で盛り上がって、脳内で壮大な(?)ハッピーエンドを思い描いている時ほど、現実ではあっけなく終わるのだ。きっと「は?」とか言われて、サラリーマンはiPhoneに視線を戻す。それで終わりだ。ここ一年で気づいたのは社会人は基本的に優しい人が多いと言うことだ。しかし、乗り換えの横浜駅まではまだ20分弱ある。断られた場合の「あいつなんだ?」の雰囲気に私は20分耐えられるのだろうか。リスクが高い。

やめよう。席を譲った親切な人には席を譲るという文化はまだ高度すぎて受け入れられない。そういうことにして横浜まで居眠りしよう。

席を譲った人に自分が席を譲る。そんな私の肩を後ろから誰かが叩き、席を譲ってくれる。それを見た他の誰かがその人に席を譲るそしてまた誰かが、、、、
夢の中でそんな優しさの循環する車内を見れたらいいな、居眠りで夢をみれるだことはないけど。と思いながらリュックを抱えて寝る姿勢をとった。

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