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エッセイ集―心のままに言葉を紡ぐ―

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心のままに語ったエッセイ集。嘘偽りのない本音を、言葉にのせてぶつけています。
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2019年3月の記事一覧

春うらら、ぬくもりに飢える

 桜の花が芽吹き、冬が終わりを告げる。草花がすくすくと成長し、温かで優しい色が広がり始めたというのに、私の心は色が抜け、寂れていく。生い茂る草花で満たされようとしているこの世界の中で、心にぽっかりと穴の開いた私が、耐えるように佇んでいる。  桜の花が満開に近づくにつれて、私はいたたまれない気持ちになる。世間では「お花見」という名の宴会に浮かれた人間たちが、「本当に桜の花を見に来ているのだろうか」と疑問に思うくらいに、馬鹿騒ぎをしてはしゃいでいる。なぜこんなにも楽しそうにでき

有名人の訃報に動悸が止まらない

 先日、ミュージシャンの内田裕也さんが亡くなった。内田裕也さんに対して、これといって思い入れがあるわけではないが、訃報を聞いた途端、胸の奥がざわざわして、しばらく動悸が止まらなかった。  私は、あと数ヶ月で27歳になろうとしている。いわゆる「アラサー」というやつだ。30代が近づいて来ると、人の死が「遥か遠くにあるもの」ではなくなってくるように感じる。  子どもの頃にも、今と同じように、テレビで有名人の訃報を聞いた。その度に、「誰なんだ?この人は」と思っていた。顔も名前も知

とっさの言葉に追いつかない

 コミュニケーションほど難しいものはない――。  人と接するたびに、そう思わずにはいられない。  私は、言語的なコミュニケーション――バーバルコミュニケーションが苦手だ。いわゆる「コミュ障」と呼ばれる類の人間なのかもしれない。  なぜ、バーバルコミュニケーションが苦手なのかというと、とっさの状況での言葉のやり取りができないからだ。これは、決定的な致命傷だ。現代社会を生き抜くためには、バーバルコミュニケーションは必要不可欠である。それができないということは、この社会からの

くだらないルールを破ってくれたもの

 noteを始めて2ヶ月が経過した。始めてみると、なかなか使い心地がいい。  noteを始めるまでは、ブログで自分の考えを発信してきた。だが、日を追うごとに、更新の頻度が減っていき、記事を書こうと試みるも、パソコンを打つ手は微動だにしなくなってしまった。この原因として考えられるのは、最初に決めたブログの形式にとらわれ過ぎたためなのではないかと思う。その形式に沿って書くのが苦しくなり、続かなくなってしまった。自分の作ったルールによって、がんじがらめになってしまったのだ。  

見ず知らずのおばさんに救われた話

 それは、私の大学生活が終わりを迎える日のことだった。めでたい門出の日だというのに、私はというと、パニック障害のせいで、それどころではなかった。鏡に映った自分の目には恐怖と絶望が入り混じった色が浮かんでいて、いかに「普通」に生きることが難しいかを物語っていた。ここで言う「普通」とは、「健常者として不自由なく日常生活を送る」ということを意味する。障害者手帳を持っていない人を健常者と言うのならば、私は紛れもなく健常者であるのだが、健常者である私が日常生活をまともに送ることができな