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高校中退した僕が明治大学に現役合格するまで⑤

みなさんこんばんは!
げんじろうです!

さて、昨日はどうしても時間が作れず、
続きを書くことが出来ませんでした🙇‍♂️

毎日1本と決めていましたが、早くも公約達成されずということで、悔しい気持ちでいっぱいです。

「時間は作るものや!」とは部活の時にも就活の時にも色んな人間に言われてきましたが、面目ないですね💦

とまあ言うててもしょうがないんで、切り替えて頑張っていこうと思います。

さて、前回のnoteの最後に書きました。

僕の育ての親の祖父がこの僕の人生を決定付ける大きな出来事にいざなってくれましたと。

8歳の初秋の時のことです。

四国での運命的な出会い

母方の祖母の母(僕のひいおばあちゃんということになります)の1周忌で、生まれて初めて僕は四国を訪れました。

法事諸々が済んだ後、折角の機会ということで四国全県を回ったんですね。

最終日、高知県に行った時のことです。
僕たち僕たち家族は高知の名所、桂浜に行くことになりました。

(2年前に行った時に撮影した写真です)

ここ、この時含めて2回行ったんですが本当に綺麗なんです。九州の海とはまた違う、広大すぎる太平洋。どこまでも続く水平線。

そんな美しい場所で、僕は運命的な出会いを果たしたました。行ったことがある方なら、察しがついたかもしれません。

そう。

坂本龍馬との出会いでした。

(2年前の時の写真。なかなかイケメンに撮れてます)

僕は、この凄まじく大きい銅像に圧倒されて動けなくなっていたらしいです。

幼稚園児がそんなことなるって中々のことだと思いますよ。笑

そして、その後、隣接する「高知県立坂本龍馬記念館」にも勿論寄ったのですが、

全部回るのに3時間かかったそうです。笑

僕が一個一個の展示物を熱心に見るから、一向に進まなかったからです。

高知県立坂本龍馬記念館

僕ね、これは流石にこの話は盛っているだろうと。小学校1年で初めていく博物館で、もつわけがないと。

そう思ったんで、2年前に行ったときに果たして可能なのかどうか。それだけのキャパがあるところだったのかと。確かめてきました。

そうして改めてじっくり見学させてもらったんですが、

退館したとき、

しっかり3時間経過しておりました。笑

とは言え、それはこの年になって知識もついて、その上で、
やっぱり目指すべきは坂本龍馬のような人間だと思っているからこそ、没頭できます。

でもそれを小1でやるのはどう考えても異常です…笑

正直、その時何を思って龍馬さんに釘付けになったのかは覚えていません。

ただ一つ思うのは、
多分、その年に感じる、知的好奇心って感覚的なものなんだと思うんです。
簡単に言うと、何か「雷が落ちた」みたいな何か。

でも、それから16年間、僕は一貫して、龍馬さんを尊敬してきましたし、龍馬さんの様な人間になりたいと思い続けてきました。
正直このレベルまで行くと、思いつきでもないし、ファッションでもないのは確かです。

これは後になって考える様になったのですが、龍馬と幼少期の境遇がよく似ていたことが、僕の心の中で結びついて、ある種の共感を呼んだのかもしれないです。

共通点と言えば、

①姉が多い家族の末っ子の男児
②成績があまり良くない・運動神経も悪い
③実家が裕福

等が挙げられます。

龍馬も、兄こそいたものの親と子ほどの年齢差があり身近であったのは3人の姉だったと言います。お姉さんが多い環境で甘やかされがちであった龍馬は、中々文字が覚えられず、簡単な数式も覚えが悪かったということで、塾を成績不振で放校になったという挿話が残っています。また、実家も土佐(現在の高知)では有名な豪商「才谷屋」であったため、かなり裕福な環境にありました。

もしかしたら、展示されているものを見て、
「自分に似ている!」と思ったのかもしれません。

ともあれ、これを運命の出会いと言わずして何と言うかと僕は思ってしまいます。

さらにいうと、もう一つ大きな人生の転機を、
この龍馬さんとの出会いで得る事になります。

と次に話を進めていきたいところですが、

その話はまた明日書こうと思います!

ちょっと友人とボーリングに行く予定ができたので…
ちょっと運動してきます笑

それではおやすみなさい💤

おまけ↓

祖父と従兄弟と、龍馬さんの前で撮った写真。
右のふてくされたガキンチョが僕。
この出会いが大きな影響を僕に与える事になります。

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