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林浩治「在日朝鮮人作家列伝」07   李恢成(りかいせい/イ・フェソン)(その3)

↑ 函館港(2012年7月26日、撮影者:663highland 、CC 表示 2.5、(wikipedia「函館港」)

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李 恢成──日本文学に斬り込んだ在日朝鮮人作家のスター(その3)


3.北海道の生活


 函館に着いた李一家は、函館引揚者援護寮に入るが、米占領軍の命令で強制送還処分を受け、長崎県佐世保市針尾島引揚者援護寮に収監される。

しかし朝鮮の混乱情報を聞いた父は日本に留まることを決意した。同じく留まることを決めた仲間とともにGHQ佐世保司令部と折衝のうえ、釜山への強制送還処分を免れた。
長崎まで来た列車の旅を北海道に向けて逆そうした。この間の事情については後に長篇小説『百年の旅人たち』に描かれた。

李恢成『百年の旅人たち』上下、新潮社、1994年

 札幌に居住することになった李恢成は、サハリンで朝鮮学校に通っていたこともあり2年遅れで豊平小学校5年生に編入された。中学1年生であるはずの年齢で小学校に通うはめになった。その後北九条小、丸山小と転校を繰り返した。

 父が養豚業をはじめると、李恢成少年も毎日朝夕豚餌を集めるためにリヤカーを引いて残飯を集めてまわった。リヤカー引きは高校1年まで続けた。

1950年6月25日、朝鮮戦争が勃発した。その前年1949年9月には、在日本朝鮮人連盟(朝連)は解散させられ、資産は没収されることになった。朝連は1945年10月15日に結成された在日朝鮮人の団体だった。

 1952年、李恢成は17歳で向陵中学を卒業し道立札幌西高に入学した。相撲部で活躍したり生徒会活動にも献身した。
この時期に多彩な友人たちに恵まれ恋愛も経験した。文学に目覚めて校内文芸誌『桑畑』に習作「上京」を発表した。
 しかし高校生李恢成の悩みはもっぱら民族問題だった。この札幌時代、李恢成は「岸本恢成」を名乗っていたのだ。

 この頃、長兄は東京へ行き次兄は札幌でタクシー運転手をしていた。また従兄は共産党に入党して暴力革命路線に走っていた。

 李恢成は大学進学を目指したが受験に失敗した。結局父と喧嘩して強引に上京した。


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*本文の著作権は、著者(林浩治さん)に、版権はけいこう舎にあります。

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