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林浩治「在日朝鮮人作家列伝」03   金石範(キム・ソクポム)(その4)

金石範──「虚無と革命」の文学を生きる
(その4)

林浩治

→(その3)からつづく

5)日本語で書いて生きる── “はらわたのない人間”


 金石範は日本語で生きていく決意とも言えぬところに追い込まれていった。後には在日朝鮮人の組織である朝鮮総連とも対立して、いよいよ日本語で書くという在日朝鮮人作家として自律していく。
 金石範は短篇「鴉の死」(『文藝首都』1957年12月号)や「看守朴書房」(『文藝首都』1957年8月号)などの短篇を発表した。

講談社文庫版『鴉の死』1985年刊
「看守朴書房」「鴉の死」「観徳亭」「糞と自由と」「虚無譚」
を所収。解説は鶴見俊輔

 金石範文学は小説「鴉の死」から始まった。「鴉の死」は済州島四・三事件を知った衝撃を外的要因としながら、金石範自身の抱えたニヒリズム、絶望と虚無を超克する役割を担った。
 金石範は「鴉の死」を書くことによって生きた。「鴉の死」が「火山島」の原型であり、「鴉の死」が示した道を金石範は生きた。「鴉の死」にはじまる「虚無と革命――革命による虚無の超克」というテーマを金石範は生きた。
 とはいえ1957年の段階で金石範はまだ職業作家になるとは考えていなかった。その後、屋台の焼き鳥屋を経験し、大阪朝鮮高校の教師を1年と少し勤め、1961年に東京へ転居して総連機関誌『朝鮮新報』で働いた。1962年に日本共産党の文化誌『文化評論』5月号に「観徳亭」を5月号に発表してから、しばらく日本語創作から離れる。
 1964年在日本朝鮮文学芸術家同盟(文芸同)に移って、朝鮮語の機関誌『文学芸術』の編集を担当するようになってからは、自らも朝鮮語で作品を書くようになり、いくつかの短篇と後の大作『火山島』とは別の長篇「火山島」の連載も始めている。

 1960年代初めから1970年代の初めまでの10年間は、金石範や金泰生、金時鐘(キム・シジョン)ら北朝鮮を支持する総連系の在日朝鮮人文化人にとって、組織との軋轢と葛藤の時期だった。

 1960年に韓国で四・一九学生革命が起きて李承晩政権が倒され、民主政権の時代が到来したかと思われたが、翌1961年には朴正煕(パク・チョンヒ)が軍事クーデターを起こして独裁政権を築いてしまった。

1961年、クーデター直後の朴正煕
(韓洪九『韓国 独裁のための時代』李泳采監訳・解説、佐相洋子訳、彩流社 の表紙)


 韓国の軍事独裁政権に対峙する朝鮮民主主義人民共和国の存在は、在日朝鮮人にとってのみならず、日本の知識人にとっても「民主」の希望に見えたのだった。

 金石範は、1967年9月に作品集『鴉の死』を新興書房から刊行している。収録されたのは「鴉の死」「看守朴書房」「糞と自由と」「観徳亭」の4篇。しかしこの出版は組織の批准を受けないままの強行だった。
「鴉の死」により始まり、小説集『鴉の死』を上梓することによってあらゆる桎梏との対決を迫られる。組織との対決、日本語との対決、そして虚無との対決。逃げて逃げて逃げ切れずに背水の陣で挑んだ場が金石範文学だったのかも知れない。

 この年の秋から冬にかけて金石範は胃癌の手術で約3ヵ月間入院し、その後1年間を療養で過ごした。そして翌年夏、総連組織を離脱した。
 1969年に「虚夢譚」を『世界』8月号に発表する。「観徳亭」以来の7年ぶりの日本語小説である。
 戦後日本で生きた金石範の虚無は、地獄の島と化した済州島に残された魂の闇だけではなかった。小説「虚夢譚」に書かれた私は、自分の腹に巣くったやどかりにはらわたを食いちぎられる夢を見る。日本から朝鮮ソウルに飛ばされた私は、朝鮮服を着て、話す言葉は朝鮮語だったが、伝説の義賊ホン・ギルドンに「はらわたのない人間」と喝破される。
 朝鮮人でありながら、日本で生きることの苦悶、日本語で書く苦闘、煩悶、自己否定が、この「はらわたのない人間」という自己認識を引き起こした。
 金石範自身の心情の形象である私は、20年前、19歳のときに1945年8月15日を日本で迎えた。京城で別れた友は歓喜の声で「朝鮮独立万歳」を叫んでいるに違いない。私は民族主義者のつもりでいたが、まわりじゅう日本人に囲まれて、日本では万歳を叫ぶまいと心に思う。
 私は電車の中で涙する若く美しい女と向かい合い、彼女との共有空間に浸るには、私の中の民族の怨恨が大きすぎると感じている。更に植民者の故郷感覚との対決と、逆に日本が染みついた自己嫌悪をも表出した。
「虚夢譚」は金石範の日本語小説再開にふさわしく、その文学的問題意識が総ざらいに詰め込まれた作品である。

 その後金石範は『万徳幽霊奇譚』(1971年11月 筑摩書房)や『1945年夏』などの小説を上梓しながら、同時に『ことばの呪縛』(1972年 筑摩書房)、『口あるものは語れ』(1975年 筑摩書房)、『民族・ことば・文学』(1976年 創樹社)などの批評集で在日朝鮮人文学論を展開した。また、1975年『季刊三千里』の創刊には編集委員としてかかわった。
 しかし1970年代に忘れてはいけないのは、「海嘯」の連載を『文學界』(1976年2月号)に始めたことだ。この連載が後に一部改題・改稿、6000枚に書き下ろし1000枚を加えて上梓された『火山島』(第一部)の原型である。

(その5)へつづく→
 いよいよ不朽の異色超大作『火山島』の誕生へ(また来週~)

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◆著者プロフィール

林浩治(はやし・こうじ)
文芸評論家。1956年埼玉県生まれ。元新日本文学会会員。
最新の著書『在日朝鮮人文学 反定立の文学を越えて』(新幹社、2019年11月刊)が、図書新聞などメディアでとりあげられ好評を博す。
ほかに『在日朝鮮人日本語文学論』(1991年、新幹社)、『戦後非日文学論』(1997年、同)、『まにまに』(2001年、新日本文学会出版部)
そのほか、論文多数。
金石範は、とくに尊敬する作家。
2011年より続けている「愚銀のブログ」http://kghayashi.cocolog-nifty.com/blog/は宝の蔵!
金石範にかんする記事も多数!
 
http://kghayashi.cocolog-nifty.com/blog/2020/06/post-ad563d.html
↑「満月の下の赤い海」が「すばる」に発表されたときの書評。
このページの一番下に、「金石範に関する記事」の一覧が載っています。

(編集部記)


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