林浩治「在日朝鮮人作家列伝」03 金石範(キム・ソクポム)(その5)
金石範──「虚無と革命」の文学を生きる
林浩治
6)『火山島』と金石範
『火山島』は1983年に3巻まで上梓され、翌年の大佛次郎賞に選ばれた。97年に全7巻が完結すると、毎日芸術賞も受賞した。
『火山島』は東アジアの戦後史に焦点をあて、歴史に翻弄される人間の孤独と情熱、愛と性、正義と欺瞞を描き日本語文学史上に屹立した孤高の大作である。
軍国主義の日本が敗戦し、植民地支配されていた朝鮮は解放されるはずだったが、半島は南北に分断され、南朝鮮単独政権の樹立をもくろむ選挙が強行されようとしていた。1948年、祖国の統一を目指す済州島の左翼ゲリラたちは武装蜂起し、島を牛耳る米軍政局や警察「西北(ソプック)青年団」らの暴力集団と対峙した。しかし圧倒的武力と無辜の島民をも村ごと葬り去る残虐の前に南朝鮮労働党率いるゲリラ勢力は一掃された。これが世に言う「済州島四・三事件」つまり「四・三民衆抗争」だ。
登場人物のひとり南承之(ナム・スンジ)は、解放後日本に母と妹を残して朝鮮に「帰り」、南朝鮮労働党党員として非合法の活動をしている。米軍通訳の梁俊午を秘密党員として組織に繋ぐ任務も担っている。
一方、日帝時代に逮捕された経験を持つ島の実力者にして、遊び人を気取る虚無主義者李芳根(イ・バングン)は、左翼勢力にシンパシーを感じながらも右翼団体とも接触している。島の状況が切迫してくると、李芳根は妹の有媛(ユウォン)を日本に留学させ、自身は警察幹部で親戚の鄭世容(チョン・セヨン)を銃殺したあと、南承之(ナム・スンジ)らゲリラの一部を日本に逃がす。
『火山島』は「虚無と革命――革命による虚無の超克」という金石範の原点であり生涯のテーマの結晶だった。
『火山島』は全7巻で完結を見るのだが、日本に逃れた南承之のその後を追った『地底の太陽』(2006年11月 集英社)と『海の底から』(2020年2月 岩波書店)という2冊の続編が書かれた。
南承之の逃れたGHQ支配下の日本では下山事件、三鷹事件、松川事件等の陰謀事件が起こされ、左翼勢力公職追放などのレッドパージが始まっていた。朝鮮学校も弾圧の暴風に晒されており、南承之の妹の茉順(マルスン)は朝鮮学校の授業と対策闘争に追われていた。
民族学校は閉鎖を迫られ、民族教育を守る戦いは警察隊と対峙して激しさを増し、1948年4月26日に朝連は大阪東成区や旭区などで「朝鮮人学校弾圧反対人民大会」に参加していた中学生の金太一(キム・テイル)少年が武装警察官に射殺されるという事態にまで至っている。
『海の底から』で、南承之は済州島から密航してきた二人の女性を迎えに対馬島に向かう。彼女たちは予備拘束され拷問にあった犠牲者だ。
金石範が済州島四・三事件を題材にした小説を書く切っ掛けになり小説にも描いた「乳房のない女」(『文学的立場』1981年5月号)との出会いが『火山島』の続編の最終章に織り込まれたのだ。金石範と四・三事件の犠牲者である女性たちとの邂逅は、1951年早春の事実だ。
密航して来た女性のひとりは両乳房を切り取られた女である。済州島で起こった凄惨な「白色テロ」、虐殺と拷問、人間否定の痕跡としての「乳房のない女」
だ。
現実としては対峙仕切れない巨大な暗黒と向かい合ったときに、自己の内部には虚無しか残らない。しかしそこには虚構を描くことによって虚無と対峙していく道が残されていた。大作『火山島』でニヒリストの権化として描かれた李芳根は、最後には多くを生かしながら、自己を殺す道を歩む。
ニヒリスト李芳根の死と社会主義者南承之の生。小説の中で李芳根を殺すことによって、社会主義者南承之を生かす。しかし、希望の魂であるはずの南承之は李芳根の死を背負うことになる。南承之は深い虚無に陥っていく。社会主義者南承之の深いニヒリズム。ここに至って南承之は金石範の化身となっている。
南承之の抱えた闇こそ金石範文学の核なのである。
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◆著者プロフィール
林浩治(はやし・こうじ)
文芸評論家。1956年埼玉県生まれ。元新日本文学会会員。
最新の著書『在日朝鮮人文学 反定立の文学を越えて』(新幹社、2019年11月刊)が、図書新聞などメディアでとりあげられ好評を博す。
ほかに『在日朝鮮人日本語文学論』(1991年、新幹社)、『戦後非日文学論』(1997年、同)、『まにまに』(2001年、新日本文学会出版部)
そのほか、論文多数。
金石範は、とくに尊敬する作家。
2011年より続けている「愚銀のブログ」http://kghayashi.cocolog-nifty.com/blog/は宝の蔵!
金石範にかんする記事も多数!
http://kghayashi.cocolog-nifty.com/blog/2020/06/post-ad563d.html
↑「満月の下の赤い海」が「すばる」に発表されたときの書評。
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(編集部記)
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