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林浩治「在日朝鮮人作家列伝」07   李恢成(りかいせい/イ・フェソン)(その10)

↑ ホテル・グランドパレス(東京・千代田区/2014年撮影)*詳細は文末

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李 恢成──日本文学に斬り込んだ在日朝鮮人作家のスター(その10)

10.政治的長篇小説『見果てぬ夢』の執筆


 李恢成韓国訪問の翌1973年8月8日の白昼朴正熙と対立し韓国民主化運動を率いた大統領候補金大中が、日本滞在中の宿泊先ホテル・グランドパレスから複数の韓国人によって拉致された。
玄海灘の海の藻屑にされる一歩手前で国際世論に救われ、その後8月13日に目隠しされた傷だらけの姿でソウル市内の自宅に現れた。

 李恢成はこの事件に抗議して「フカに人間はいつまでくわれているか」(『早稲田文学』10月)を発表した。

 また1974年7月には、金芝河ら民青学連事件被告死刑宣告に抗議して数寄屋橋でハンガーストライキに参加した。

 民青学連事件とは、同年4月に全国民主青年学生総連盟(民青学連)の構成員を中心とする180名が、大韓民国中央情報部(KCIA)によって拘束され、非常軍法会議に起訴された事件で、金芝河などの知識人や政治家も連なって逮捕された。

金芝河(LTI Korea、2002年10月21日)
CC 表示-継承 3.0
うィキメディアコモンズ(ファイル:Kim Chi-ha.jpg)


 姜尚中は李恢成の『可能性としての「在日」』(講談社文芸文庫)の解説で、

〈 わたしが李恢成氏の姿をはじめて目にしたのは、一九七四年初夏の銀座数寄屋橋だった。その年の四月に起こった民青学連事件に抗議するハンガーストライキのテントのなかに大江健三郎氏らとともに寡黙に、しかし圧倒的な存在感を漂わせて端然として座っている大柄な李氏がいた。〉
と書いている。

 李恢成は大柄ではなく姜尚中の方が大きいはずだが、それでも大柄に見えたのだ。1970年代の李恢成はそういう存在だった。
この時期李恢成は小説やエッセイを立て続けに発表した。
また韓国で囚われた詩人金芝河にロータス賞を推薦する文を野間宏大江健三郎らと書き、金芝河作品集『不帰』(1975年12月 中央公論社)を翻訳もした。

金芝河『不帰』李恢成訳、中央公論社、1975年
『群像』1976年6月号、講談社

 そして1976年『群像』6月号から長篇政治小説「見果てぬ夢」の連載が始まる。『見果てぬ夢』は翌77年から79年までに全6巻3000枚が発行され文壇のみならずマスコミの注目を浴びた。
 朝鮮半島の南半分、朴正熙軍事独裁政権の支配する韓国での革命を志向する若者たちを描いた政治小説だ。
自生的社会主義を志向する朴采浩、祖国の解放のためソウル大学院生となるが逮捕される在日朝鮮人趙南植、財閥の娘で朴采浩の妻玲淑のほか、北の朝鮮労働党に繋がる地下組織の活動家たちなどが登場する。

 このような政治小説は日本では稀有だったためかマスコミの評判は悪くなかった。また李恢成自身も各地で大小の集会に呼ばれると積極的に参加した。

 しかし作家安岡章太郎の指摘は厳しかった。
『群像』1979年10月号掲載対談で、安岡は主人公の朴采浩の人物像が稀薄だと語った。土着の社会主義を描くには土着の資本主義を描く必要がある。克服されるべく資本主義の実体が描かれないから土着の社会主義が空論に見えてしまう。
李恢成は主人公の義父に、韓国の実際の財閥の会長をモデルに当てていたが、財閥の成り立ちが書かれず、妻の父と主人公の関係が曖昧だった。結局主人公像が薄っぺらになってしまう。
こういった安岡の指摘に李恢成は打ちのめされる。

『群像』1979年10月号、講談社
「対談/安岡章太郎・李恢成」のタイトルが見える


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※本文の著作権は、著者(林浩治さん)に、版権けいこう舎にあります

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◆写真について

ヘッダー写真:ホテルグランドパレス
撮影者:あばさー
撮影:2014年4月19日
パブリック・ドメイン
ウィキメディアコモンズ(ファイル:Hotel Grand Palace 01.JPG)

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◆参考文献



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