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在日朝鮮人*作家列伝 ──すごくいい!からぜひ読んで!

はじめに

みなさまこんにちは。

編集工房けいこう舎の編集人(栗林佐知)です。

この企画は、1945年8月の敗戦(解放**)~今日まで、読み応えのある作品を世に問うた、在日朝鮮人作家の人生と作品について、
文芸評論家の林浩治さんに紹介していただき、初心者である編集人も実際読んでみて、日本と朝鮮半島の近現代史を、文学から体感しよう、という企画です。

残念ながら、いまや、この76年の間に活躍した在日朝鮮人作家には、どんな作家がいてどんな作品を書いていたのか、知っている人の方がまれです。

知りたいと思いませんか?
思うでしょう?

そこで、『在日朝鮮人日本語文学論』(新幹社、1991年)『在日朝鮮人文学 反定立の文学を越えて』(新幹社、2019年)などのお仕事を重ねてこられた林さんに、作家と作品から近代史をみるとしたら、どんな作家があがるでしょう、とお聞きして、「在日朝鮮人作家10人」をあげていただきました。

これから、半年に1回のペースではありますが、
それぞれの作家について、1,2の作品を中心にして、その作家の位置づけ、あゆみを、ミニ評伝に書いていただくよう、林さんに拝み倒してお願いいたしましたのです。***

なにゆえこのような企画を、無理を言って林さんにお願いしたかと申しますと……

もちろん、もの知らずな編集人の好奇心のせいですが、
なによりやっぱり、今の世の中がキツい! やばい!(悪い方の意味)
と編集人は感じるからです。

「キモイ!」「ウザイ!」「どけ!」「チビ!」「デブ!」「ブス!」
相手を一方的に、否定して決めつける言葉が、なんと大手を振るっていることか。

中でも一番わけがわからないのが、あれです。
「朝鮮人は帰れ!」ってやつ。
トンチンカンなことを大声で罵って、いじの悪さと頭の悪さを自慢げにむきだしてねり歩く、あのヘイトなかたがた……。

このようなお方に、つけるお薬を差し上げるのは難しいと思いますが、
それよりとっても心配なのが、
これまでヘイトなことなんか思ってもみなかった人が、
「ぶっちゃけ、どうして在日の人、韓国や北朝鮮に帰らないんだろ」
なんて思ってやいないか、ってことなのです。

わたしたちは学校で、近代史をろくに習っていません。
だから今、世界で何が起こっているのかもよくわからないでいるのではないでしょうか。

わたしたちの社会は、どうして、ここで生まれ育ったのに「帰れ」と言われたり、税金払ってるのに選挙権がなかったり、就職や結婚でキツい困難にまみえなければならなかったりする境遇に、誰かを追いやってしまってるのか。
100年くらい前から、朝鮮半島で暮らしていた人たちが、なぜ日本に来ざるを得なかったのか。日本で何を思ってどんなふうに暮らし、実際、どんな出来事にあって生きてきたか……。

歴史の本で学ぶこともぜったい大切ですが、
優れた小説には、小説にしかできないことがあります。
それは、読者を、作者がありありと感じたその世界につれてゆき、主人公たちの感覚、感情、見たもの、聞いたこと、嗅いだ匂いまで体験させてくれるということです。
そして勉強の本よりだんぜん、心の動きが語られることです。
そしてもっともっと肝心なのは、小説はたいていの勉強本より、だんぜんおもしろい!ということです。

取りあげていただく作家は、次の通りです。

1 金達寿(1920年1月17日、慶尚南道昌原郡亀尾村生~1997年5月24日死去。77歳)
2 金泰生(1924年11月27日、済州島大静面新坪里生~1986年12月25日川口市にて死去。62歳)
3 金石範(1925年10月2日、大阪東成猪飼野生~)
4 鄭承博(1923年慶尚北道安東郡生~2001年兵庫県洲本市で死去。77歳)
5 呉林俊(1926年慶尚南道生~1973年9月3日)
6 高史明(1932年、山口県生~)
7 李恢成(1935年2月26日、樺太真岡郡真岡町生~ )
8 金鶴泳(1938年9月14日群馬県生~1985年1月4日)
9 李良枝(1955年3月15日山梨県南都留郡西桂町生~)
番外1 張赫宙と金史良
番外2 現代の作家たち(金重明・黄英治・柳美里・玄月など)

です。
さあさあどんな世界に出会えるか、ご期待くださったらうれしいです!

また、「あ、この作家私も大好き、感想書きたい!」と思ってくださる方がおられましたら、歓迎でございます。

さて、明日、いよいよ第1回の連載がアップされます!

けいこう舎編集人:栗林佐知


・・・・・・・・・・・・・・・(注)・・・・・・・・・・・・・・・・

在日朝鮮人作家*
朝鮮・韓国籍を持つ日本在住市民のことは、「在日朝鮮人」「在日韓国・朝鮮人」「在日コリアン」「朝鮮半島にルーツを持つ人(それを言ったら日本列島住民たいてい該当しますが)」……と、いろいろ呼び名があり、当事者もそれぞれに名乗っておいでだと思います。
正直なところ、どの呼称を使うのが一番いいのか、不案内でおります。
林さんも「いま“在日朝鮮人作家"なんて言うのは私くらいですよ。"朝鮮"という言葉に『えっ』と言われることも多いです」とおっしゃいます。
とはいえ、「在日韓国・朝鮮人作家」では少し長いし、では「在日コリアン作家」あたりが今日的だろうかと思ったのですが、少なくとも最初に取り上げる「金達寿」にはどうにも似合いません。
『在日朝鮮人日本語文学論』(新幹社、1991年)『在日朝鮮人文学 反定立の文学を越えて』(新幹社、2019年)などのお仕事を重ねてこられた林浩治さんに倣います。
それに言葉は短い方がいいかな、というのと、“朝鮮文化”“朝鮮半島”などから「朝鮮」を頂いて、「在日朝鮮人」という言葉を、ここでは使おうと思います。なにか政治的な含み、たとえば「韓国なんてありえなーい、南朝鮮じゃあ!」とかいう主義でいうのではありません。

**
解放=帝国の敗戦は、その帝国に植民地にされていた人々にとっては「解放」ですよね。

***
林浩治さんご自身は、もはや「民族性の回帰」などにはにこだわらぬ若い在日作家たちの活躍をとりあげた論考で、その締めくくりを、
《それはいずれにしろもはや「在日朝鮮人文学」と呼ぶ必要のないものになっているかもしれない》(『在日朝鮮人文学 反定立の文学を越えて』新幹社、p57)
と、将来の在日朝鮮人文学を予見した文で結んでいらっしゃいます。
(これについては、もしかしたら第11回目に語られるかもしれません)
 そんな先を見据えている林さんに、「そこをなんとか……」と無理に、歴代の「在日朝鮮人作家」たちの紹介をお願いしてしましました。
つまりこの企画は、編集人のセンスです。
タイトルも、林さんは「私の趣味ではありません。あえて嫌だとはいいませんが」というスタンスです。
そうなのです。無謀な編集人は、ヒマラヤ山脈のような読書量と学識を持つ文芸評論家を、もの知らずのおのれの趣味に、一方的におつきあい頂いてしまっているのでした。
林さん、すみません。本当にありがとうございます。
「だっせ~~」と思われる方がおられましたら、それは編集人がダサいので、そうお考えください。

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けいこう舎編集人/栗林佐知

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