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林浩治「在日朝鮮人作家列伝」04   鄭承博(チョン・スンバク)(その1)

鄭承博──差別を跳ね返し淡路島の文化人として生きた歴史の証人(その1)

林浩治

鄭承博(1923年9月~2001年1月)

 鄭承博(チョンスンバク)は在日1世の作家だ。金石範とはほぼ同世代だが、京都大学卒の知識人で愛想のない金石範に比して、鄭承博は学歴は殆ど持たず、農業、旋盤工、鍛冶、電気通信技術、新聞配達などの仕事を経験し、料理も得意だった。営業スマイルで周囲を取り込み、戦前戦後には闇米や物資の調達販売なども行った。スナックのマスターとしてホステスを使っていたこともある。

鄭承博は、在日1世2世の作家文化人の多くが北朝鮮を支持する総連(在日朝鮮人総連合)に所属した経験があるのに比して、日本人社会になじんで生活し、在日朝鮮人としては珍しい川柳作家でもあった。

鄭承博が小説家として注目されたのは『農民文学』に発表された「裸の捕虜」が『文學界』に転載され、佐伯彰一らに激賞され農民文学賞受賞、芥川賞候補に挙げられたことによる。
淡路島に根付いた文化活動で求心力を発揮し、地方文芸誌『文芸淡路』の創設同人としても活躍した。 

1)『裸の捕虜』 

『裸の捕虜』は1973年2月、文藝春秋から出版された。
『裸の捕虜』の衝撃は第一に中国人捕虜が強制労働させられる様が描かれている点だ。中国人共産党の八路軍の兵士たちだ。
八路軍捕虜の労働現場が描かれた小説が他にあるだろうか。それだけでも貴重な体験を鄭承博は小説化した。

しかしもっと注目すべきは、『裸の捕虜』の連作全体を通じて、鄭承博自身である朝鮮人徴用脱走犯をモチーフにしている点だ。

『裸の捕虜』「裸の捕虜」「地点」「電灯が点いている」の短編連作で、主人公は作家自身を投影した鄭承徳(チョンスンドク)だ。
文藝春秋版には集録されなかったが、同じく鄭承徳を主人公とした「追われる日々」『農民文学』1971年6月発表。新幹社版『裸の捕虜』収録)を加えると、戦時期日本を一人の朝鮮人の視点から追った記録文学として読むこともできる。

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鄭承博の分身としての青年承徳は、昼間は工場で働きながら、夜は電気通信技師を養成する学校へ通学していた。ところが、朝鮮人学生は全員退学となってしまう。通信業務から朝鮮人は排除されたのである。

大阪に戻った承徳は、軍指定の精密工作工場である吉沢金属工業所という30人余りの町工場に勤めた。工員たちは徴用扱いだ。
承徳は食糧不足を補うためにヤミの買い出しを命令される。如才ない承徳は闇屋仲間に潜り込み、田舎を回って食料を調達し、同僚たちに有り難がられたのだが、塩サンマを仕入れた帰りに逮捕されてしまう。

一旦釈放された承徳だったが、裏切った会社に戻れず、買い出しで知り合った農家の老夫婦を訪ねた。
農家を手伝って農繁期を過ごし、置きっぱなしだった荷物を取りに元のアパートに戻ったところを、徴用工場からの朝鮮人脱走犯として逮捕されてしまう。

大阪から貨車に積まれた承徳は、新潟県十日町の発電ダム建設現場に運ばれた。そこには麦藁帽子にパンツ姿で真っ黒な中国八路軍の捕虜たちが強制労働させられていた。
承徳はそこで使用するつるはしやノミなどを直す専属の鍛冶工として徴用されたのだった。

『裸の捕虜』文藝春秋、1973年
『鄭承博著作集 第1巻 裸の捕虜』新幹社、1993年に所収

百余名の捕虜たちは、低いトタン屋根に藁と茅で取り巻いた壁、毛布一枚なく、地面に筵をひいた小屋に寝起きし、機関銃を向けられた柵のなかで地獄のような労働を強いられていた。ここで捕虜たちの祖国を思う態度や生きるための大胆な行動に驚かされる。その一方いつのまにか徴用脱走犯に仕立てられたてしまった承徳は、戦争が終わったら非国民扱いされてどんな処刑を受けるか心配になり、脱走を決意する。

承徳は周到で大胆な方法で脱走し、職人仲間の長谷川を訪ねて名古屋を訪ねたが、名古屋は空襲で廃墟と化していた。町で軍用のパンを一箱ちょろまかして罹災者に売り払い大阪に向かった。
大阪では浪速区の西浜界隈に逃げ込むことにした。西浜は重犯人でも逃げ込めば捕まらないという定説があるほど複雑な町であった。そこで承徳は名古屋の罹災者長谷川を名乗って新聞配達の仕事に就いた。

大阪で1945年3月13日の空襲に遭遇する。承徳は空襲も巧みにかわし逃げに逃げ、空襲後も検挙される寸前で逃れ、知り合いのつてを頼って淡路島に逃げた。そこでネジを作る工場で働いたが、材料を積んだ船が沈められ、また買い出し屋をやる。ヤミで買った食材は結局軍のお偉いさんの口に入る、という事実を読者は知る。

承徳は朝鮮人であることから凶悪犯かも知れないと警察に追われ、命がけで紀淡海峡を渡って逃げた。大規模な要塞造りの現場に潜り込み、電気の知識を生かして重宝がられて働いたが、輸送の仕事に回された。
ところが出港して三日目、大阪湾の川口に船を繋いで留まっていたところで戦争が終わった。

(その2)へつづく→

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◆参考文献

鄭承博『裸の捕虜』1973年2月 文藝春秋
鄭承博『鄭承博著作集第1巻 裸の捕虜』1993年10月 新幹社
鄭承博『鄭承博著作集第2巻 松葉売り』1994年6月 新幹社
鄭承博『鄭承博著作集第3巻 ある日の海峡』1993年6月 新幹社
鄭承博『鄭承博著作集第4巻 私の出会った人びと』1993年6月 新幹社
鄭承博『鄭承博著作集第5巻 奪われた言葉』1997年12月 新幹社
鄭承博『鄭承博著作集第6巻 ゴミ捨て場』1994年12月 新幹社
鄭承博『水平の人 栗須七郎先生と私』2001年3月 みずかわ出版
鄭承博『人生いろいろありました』2002年2月 新幹社
北原文雄『島からの手紙』2001年2月 松香堂FSS

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◆著者プロフィール

林浩治(はやし・こうじ)
文芸評論家。1956年埼玉県生まれ。元新日本文学会会員。
最新の著書『在日朝鮮人文学 反定立の文学を越えて』(新幹社、2019年11月刊)が、図書新聞などメディアでとりあげられ好評を博す。
ほかに『在日朝鮮人日本語文学論』(1991年、新幹社)、『戦後非日文学論』(1997年、同)、『まにまに』(2001年、新日本文学会出版部)
そのほか、論文多数。
鄭承博とも交友があった。
2011年より続けている「愚銀のブログ」http://kghayashi.cocolog-nifty.com/blog/は宝の蔵!
「鄭承博(チョン・スンバク)さんの記憶」は圧巻です。


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