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林浩治「在日朝鮮人作家列伝」04   鄭承博(チョン・スンバク)(その2)


鄭承博──差別を跳ね返し淡路島の文化人として生きた歴史の証人(その2)

林浩治

→(その1)からのつづき

2)植民地朝鮮に生まれて


鄭承博(チョン・スンバク)の出身地は、韓国慶尚北道安東郡臥龍面、朝鮮半島の中心を南北に流れる洛東江の上流に位置する山村だ。
家族は農業を中心とした自給自足に近い山村生活を送っていた。先祖である両班の清州鄭氏は儒学者の李退溪(イ・テェゲ)を招いて安東市陶山面土渓里に建てた陶山書院(トサンソウォン)の創健者だと言う。
鄭承博の数代前に日本の迫害から逃れて山奥の臥龍面に移住したが、承博が生まれた頃は当地も日本官憲の強い支配下にあった。
小説「摘発」『鄭承博著作集第2巻 松葉売り』所収)では、

〈それまでの居住地は、こんな山奥ではなく、広々とした水田地帯で、雑穀など食べたこともないという。その折りにやってきた土地の調査官と、ちょっとした小競り合いから、日本に非協力的な民にされたばかりか、先祖伝来の田地田畑は無論、家財まで没収されたらしい。〉
と書かれている。

鄭承博は、「日韓併合」の13年後1923年9月9日、日本の統治下に姉一人、弟二人、妹一人の5人きょうだいの長男として生まれた。

鄭家は今でも地方にあって古い儒教道徳に縛られ名家である誇りを維持しているため、長男の出奔は大問題であった。長男がいるのに次男に跡を継がせることはできない。そこで日本から帰らぬ嫡男承博に代わって弟の息子が承博の養子となり鄭家を継いでいる。

鄭承博が生まれる8日前、9月1日に日本では関東大震災があった。震災では多くの朝鮮人が流言飛語に挑発された自警団などの日本人によって虐殺された。その数は日本政府が犠牲者調査を行ってこなかったために今日もなお不明なのだが、当時調査自体が禁止されるなか密かに調査されただけでも6000人を超えている。※1)←文末へ

植民地支配下の朝鮮では日本化強制が進められていた。その最たるものがやがて朝鮮語の禁止へと引導される日本語の公用化だった。
承博少年は書堂(ソダン)と呼ばれる塾で千字文と漢字などを習っていたが、1932年の満州国建国以来、朝鮮では日本語の公用語化や、朝鮮民族の白衣を禁止する色衣運動などの日韓同化政策の嵐が吹き荒れていた。朝鮮の庶民が着た白衣は、見つかるとベタベタに染料や墨を塗られた。

「松葉売り」「書堂」「摘発」など『鄭承博著作集第2巻 松葉売り』所収の諸篇にこの時期の生活が描かれている。小説として書かれているので作家自身の体験に、見聞きや後付けの知識を合わせていて、すべてが作家自身の姿を反映したものとは限らない。
だがこの時期この地域では農作業に限らず、母親が綿を打ち布を織って家族の布団や衣類を自家生産するような生活だったことは間違いないようだ。蚕を飼って絹を織り、木綿も紡ぎ、村に機織機のない家はなかった。屑米や粟、高梁、芋などなんでも発酵させてどぶろくを造った。祖父は数本のたばこを畑の隅に植えて自分の嗜む分をまかなった。まったく裕福な生活だ。

〈言うまでもなく自給自足の生活。ましてや紙幣、お金なんて物はね、貨幣経済はまだ私の田舎では一般的になっていなかった。〉(「八・一五解放と在日朝鮮人」『人生いろいろありました』所収)

日本の支配以前は自由だった自家製酒も禁止され、摘発された密造酒はぶちまけられ、犯人とされた働き手の男は逮捕された。家族の着物用の布を織る機織機は壊され、布団に入れるために栽培した綿は軍用に徴収された。
朝鮮の田舎における自給自足の山村生活は、日本という資本主義の侵略によって破壊されたのだ。

承博少年の書堂での勉強は日本帝国主義の資本主義支配には役に立たず、日本語を知らぬ者は人間扱いされなくなる。幼児期から山に入って松葉や枯れ枝を拾ってきて町に売り歩くなどの仕事で、現金収入を得てきた鄭承博にとって、日本語は実用語だった。
書堂での勉強は実用的でなかったため、村の子どもたちが日本語を学ぼうとすれば、臥龍面公立普通学校に入学するか、私塾で学ぶか、町に出て日本人との交流で習得していくかだ。9歳までの鄭承博の学歴は書堂以外は不確かだ。

自伝的と言われる小説「奪われたことば」(鄭承博著作集第2巻『松葉売り』所収)では、普通学校の3年生である私は教室で朝鮮語を使ったかどで退校するはめに陥る。私は大日本帝国陸軍御用達牧場で働くことになるが、「僕は学校をやめましたが、日本人に仕えることができて、幸運です」と言ってのける。牧場主たちは日本人でも朝鮮語が達者だ。これが鄭承博自身の体験かは疑わしい。
しかし〈朝鮮人の中では朝鮮人のように、日本人の中では日本人のように振る舞う。これこそが理想の男に見えてきた。〉という主人公少年の感慨は鄭承博自身の処世術に通じたのかも知れない。

『人生いろいろありました』2002年、新幹社
『鄭承博著作集第2巻 小説2 松葉売り』新幹社、1994年

(その3)へつづく→

*(本文の著作権は、著者にあります。ブログ等への転載はご遠慮くださいませ。その他のことは、けいこう舎https://www.keikousyaweb.com/までお願いいたします)

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◆※1)

関東大震災時の朝鮮人虐殺については、これを否定する歴史改ざん主義的主張が跋扈しているので、参考資料を3点あげておく。
 ①加藤直樹『九月、東京の路上で』2014年3月 ころから
 ②加藤直樹『TRICK トリック「朝鮮人虐殺」をなかったことにしたい人たち』2019年7月 ころから
 ③西崎雅夫編『証言集 関東大震災の直後 朝鮮人と日本人』2018年8月 ちくま文庫

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◆参考文献

鄭承博『裸の捕虜』1973年2月 文藝春秋
鄭承博『鄭承博著作集第1巻 裸の捕虜』1993年10月 新幹社
鄭承博『鄭承博著作集第2巻 松葉売り』1994年6月 新幹社
鄭承博『鄭承博著作集第3巻 ある日の海峡』1993年6月 新幹社
鄭承博『鄭承博著作集第4巻 私の出会った人びと』1993年6月 新幹社
鄭承博『鄭承博著作集第5巻 奪われた言葉』1997年12月 新幹社
鄭承博『鄭承博著作集第6巻 ゴミ捨て場』1994年12月 新幹社
鄭承博『水平の人 栗須七郎先生と私』2001年3月 みずかわ出版
鄭承博『人生いろいろありました』2002年2月 新幹社
北原文雄『島からの手紙』2001年2月 松香堂FSS

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◆著者プロフィール

林浩治(はやし・こうじ)
文芸評論家。1956年埼玉県生まれ。元新日本文学会会員。
最新の著書『在日朝鮮人文学 反定立の文学を越えて』(新幹社、2019年11月刊)が、図書新聞などメディアでとりあげられ好評を博す。
ほかに『在日朝鮮人日本語文学論』(1991年、新幹社)、『戦後非日文学論』(1997年、同)、『まにまに』(2001年、新日本文学会出版部)
そのほか、論文多数。
鄭承博とも交友があった。
2011年より続けている「愚銀のブログ」http://kghayashi.cocolog-nifty.com/blog/は宝の蔵!
「鄭承博(チョン・スンバク)さんの記憶」は圧巻です。


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