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林浩治「在日朝鮮人作家列伝」

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1945年から今日まで、10人の「在日朝鮮人作家」の作品と人生、その歴史背景を、文芸評論家の林浩治さんにミニ評伝で紹介していただきます。 (本文の著作権は、著者にあります。ブログ…
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2023年2月の記事一覧

林浩治「在日朝鮮人作家列伝」04   鄭承博(チョン・スンバク)(その3)

林浩治「在日朝鮮人作家列伝」04   鄭承博(チョン・スンバク)(その3)

鄭承博──差別を跳ね返し淡路島の文化人として生きた歴史の証人(その3)林浩治

→(その2)からのつづき

3)日本に渡って逃亡生活が始まる

鄭承博はわずか9歳で単身日本に渡航した。

承博少年は父の牛を売り払って得た金と叔父からの手紙を握って日本へ向かった。1933年8月ようやく和歌山県田辺市に到着する。

やっとのことで富田川上流の飯場で土木工事の飯場頭をしていた叔父に辿り着き、工事現場で炊

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林浩治「在日朝鮮人作家列伝」04   鄭承博(チョン・スンバク)(その4)

林浩治「在日朝鮮人作家列伝」04   鄭承博(チョン・スンバク)(その4)

鄭承博──差別を跳ね返し淡路島の文化人として生きた歴史の証人(その4)林浩治

→(その3)からのつづき

4)栗須七郎と出会う

一日2時間の自由時間に近くの寺で休んでいた承博は、そこで水平社運動の指導者栗須七郎と出って、こんなことを言われる。
「おまえはまだ子供のくせに、こんな汚らしい着物を着て、仕事ばっかりしていたのでは人間になれない。」
栗栖七郎は「学ばざる者は草木に等しい」という持論を持

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林浩治「在日朝鮮人作家列伝」04   鄭承博(チョン・スンバク)(その5)

林浩治「在日朝鮮人作家列伝」04   鄭承博(チョン・スンバク)(その5)

鄭承博──差別を跳ね返し淡路島の文化人として生きた歴史の証人(その5)林浩治

→(その4)からのつづき

5)日本敗戦後

大阪湾で敗戦を迎えた鄭承博は、淡路島の洲本市に間借りし、淡路・大阪・和歌山を行き来して食料品を売る担ぎ屋で糊口を凌いでいた。

前後するが、1944年頃洲本で一時旋盤工などの仕事をしていたときに知ったビリヤード店の娘中野小静と出会った。

鄭承博は小静の親の反対を押し切って

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林浩治「在日朝鮮人作家列伝」04   鄭承博(チョン・スンバク)(その6)

林浩治「在日朝鮮人作家列伝」04   鄭承博(チョン・スンバク)(その6)

鄭承博──差別を跳ね返し淡路島の文化人として生きた歴史の証人(その6)林浩治

→(その5)からのつづき

6)川柳と出会う

 バー・ナイトは鄭承博の生活拠点であると同時に活動拠点にもなっていった。
1961年、鄭承博はバー・ナイトの客で淡路雑俳家の藤本武と知り合い、淡路雑俳の「淡路雅交会」へ投句を始めた。

川柳との出会いは鄭承博には決定的な意味を持った。自身の生を表現できる喜びをもたらせた。

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林浩治「在日朝鮮人作家列伝」04   鄭承博(チョン・スンバク)(その7 最終回)

林浩治「在日朝鮮人作家列伝」04   鄭承博(チョン・スンバク)(その7 最終回)

1970年11月『川柳 阿波路』第65号から連載始めた小説「書堂」で、はじめてこの著者名で小説家として登場した鄭承博。その活躍は……いよいよ最終回です。

鄭承博──差別を跳ね返し淡路島の文化人として生きた歴史の証人(その7)林浩治

→(その6)からのつづき

7)小説家鄭承博 

 1970年前後、『農民文学』編集長の藤田晋助がたびたび淡路島を訪ね、鄭承博邸に寝泊まりして鄭承博の小説原稿をチェ

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