林浩治「在日朝鮮人作家列伝」04 鄭承博(チョン・スンバク)(その5)
鄭承博──差別を跳ね返し淡路島の文化人として生きた歴史の証人(その5)
林浩治
→(その4)からのつづき
5)日本敗戦後
大阪湾で敗戦を迎えた鄭承博は、淡路島の洲本市に間借りし、淡路・大阪・和歌山を行き来して食料品を売る担ぎ屋で糊口を凌いでいた。
前後するが、1944年頃洲本で一時旋盤工などの仕事をしていたときに知ったビリヤード店の娘中野小静と出会った。
鄭承博は小静の親の反対を押し切って、1946年4月駆け落ちして大阪へ出た。
大阪や田辺で暮らしていたが、秋頃小静が妊娠すると洲本に戻り、間借り生活を始めた。最
初の子は生後三日で亡くしてしまったが、1948年に長女、49年に次女が誕生した。
この後、闇米販売、旋盤工、新聞配達、朝鮮飴・栗饅頭などの製造販売、焼酎密造、土木工事のポンプ係などの仕事を経験する。しかし収入は不安定で気持が荒れ花街通いで浪費していたため、妻が化粧品の行商などで生活を支えた。
転機は1958年11月のことだった。
1956年春頃に大阪から転居、香川県坂出市の妻の姉夫婦が経営するパチンコ店に住み込んで手伝ったが、58年の10月に洲本市の妻の実家に移った。
翌月には近くの貸店舗で「バー・ナイト」を開店した。
生活が安定すると、夜遊びが頻繁になり、長唄・日本画なども習い始めた。
→(その6)へつづく
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◆参考文献
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◆著者プロフィールは
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