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Vol.3 最高の友達と過ごした中学生編

そんなこんなで中学生になった私は小学生の時の友人と共に中学生になりました。
家庭環境は変わらずでしたが、学校は楽しいものでした。
部活は何にしようか?と友人達と話をしましたがみんなはテニス部に入部を決めました。
私もテニス部に入ろうかと思いましたが、

『女子と一緒に練習できる!』

という邪な考えから陸上部に入部を決めました笑

小学生時代に友達の家に毎日通って鍛えられた脚力を活かして短距離をやることに決めたのです。
私の通っていた中学校では野球部、サッカー部、テニス部などは県大会でも優勝するぐらいにはスポーツに力を入れている学校でした。
そんな中、陸上部はサッカー部が使っている第二グラウンドの端にある大きな木の麓を拠点とした全くと言って良いほど名の知れていない部活でした。
元々、本気でやるつもりがなかった私にとってはサボれる・顧問のこない最高の環境です。
気が付いたら市内大会が来ていました。練習などは教えてくれる先生もいないので何をしていたか全く覚えていません。
初めて大会に出場した時に珍事件が起きました。それは今でもはっきりと覚えています。
陸上の大会では自分が出場する種目が来たら別のところに集まり、出場メンバーで整列して点呼があり、走る順番を待ちます。

初めて出場する大会なので流されるまま整列していたのですが点呼の際に突然、

『スパイクを確認するので準備してくださーい!』

とアナウンスがありました。

私の頭の中は

『???』

スパイク?何それ?
サッカーじゃあるまいし、ただ走るのにスパイクなんてあるのか?笑

そう、先生や先輩からも陸上はスパイクが必要だよ!と教えもらっていなかったのです。

列の端から担当の人がスパイクを確認していきます。

おいおいおい。スパイクなんて持ってねーよ。
と思っている間に私の番が回ってきました。

点呼係:『スパイクを見せてください。』
私:『スパイクが必要とは聞いていませんでした。持ってないっす!』

すると周りからクスクスと笑い声が聞こえてきました。

点呼係:『まぁー今履いている靴でいいです。』
と少し呆れ気味に言われてました。
スパイクなんかなくても勝てばいい、笑ったやつ全員見返してやる。
という闘争心が芽生えました。

そして本番、予選1回戦目

『位置について。よーい。』緊張が高まります。

パン!!

空砲の音が響き渡り、全力疾走しました。

結果は1位

ゴールにいた審判係の他校の先生に
『スパイクも履いていないのにすごいな!どこの中学や?』
と聞かれたので学校名を答えると、
『どこの学校や!全然知らんな!』
と返されました。笑

そのまま順調に勝ち進み、決勝戦も見事1位!!

スパイクも持っていない少年が1位になれたのです。
自分がまさか1位を獲れるなんて思っても見なかったので本当に嬉しかったです。
ここから市内大会では毎回1位を獲る事ができました。
その先の大会ではベスト8止まりでしたが。。。笑
1位になると学校の朝礼で表彰されました。
良い思い出です。

学校生活はというと本当に楽しかったの一言に尽きます。
ここには書ききれない程の思い出があります。
初めて彼女ができたり、友達と馬鹿な事をして遊んだり、まさに青春でした。
その中でも現在もプライベートで一番仲のいいY君との出会いが印象深かったです

たまたまY君と席が前後で私が後ろの席でした。
するとY君がおもむろに私の方へ振り向き、

『俺を楽しませてくれるんやろぉなー??』

と言ってきたので、すかさず、

『当たり前やろ?これからよろしくな!』

という謎のキッカケで話すようになりました。
授業中も先生に隠れて社会の時間に使う地図帳で当時人気だった「あいのり」を再現したり、笑かしあったりふざけた事ばかりをしていました。

家が嫌いだった私はY君の家に他の友達も誘い何日も連続で泊まったり、夜遅くまで遊びに出ていたりしました。

クラスでは当時、まだお晦日にやる前のダウンタウン『ガキ使』の笑ってはいけないシリーズが流行り、仲のいい友達とクラス全体を巻き込んで学校にいるときは『笑ってはいけない』というルールを作り、常に笑かし合いをしていました。
笑ったら参加している全員から肩パン(肩に全力パンチ)という罰ゲームがあったので参加メンバー全員笑うという事を3年間封印しました。
そのせいで一時期面白い事があっても素直に笑えず、我慢する癖が抜けずに苦労しました。笑

中学校で友達と遊んでいる事が楽しすぎて本当は楽しいはずの夏休みなどの長期連休でさえ、早く終わってほしい、学校に早くいきたいと思うほどでした。
似たもの同士が集まるとはよく言ったもので、私の周りの友達も家族に大小問題がある家庭ばかりでした。

その為、友達とつるみ、学生時代のほとんどは家族ではなく友達と過ごしました。

中学校も3年になったある日のこと、ある先生から。
『お前は高校に行っても陸上続ける気か?』と質問されました。
まだそこまで考えていないと返答したところ、
『お前の体格やったら陸上はこれ以上伸びへん、コンタクトスポーツをやれ』
と言われました。急に何なんや。ひどい先生やな。と思ったのを覚えています。

ただ先生から言われたことは正しく、私は実際。3年生になった頃には市内でも最高順位が3位まで落ち込んでいました。

その時は真面目に聞いておらず、コンタクトスポーツって何やねん。
と思うぐらいにしか考えておらず、まさか自分が高校でラグビーをやるとはこの時は思ってもいませんでした。

中学校編は以上になります。

もう少し、詳しく書こうと思いましたが、中学校編はこのくらいにしておきます。
他校との争い、魔性の女子生徒に男達が悩殺された事件、塾の先生とのパワーリフティング記録など、まだまだ色々とピンポイントで書きたい事もありましたが、長くなるのでこのくらいにしておきます。
また、詳しく書きたくなったら別で掘り下げていこうと思います!
前回までが暗い話ばかりでしたのでここからは前向きで楽しいことをメインで書いていこうと思います!

それでは次回、まさかの入部、人生で一番濃かった!?高校ラグビー部編に突入します!

次もぜひ一読ください!
どれぐらいの方が読んでいただいているかは分かりませんが、
引き続き、よろしくお願いします。



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