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Vol.2 人生で最も思い出したくない幼少期

私は兵庫県に生まれました。
いわゆる貧乏な家庭です。
お金はなく、小さなアパートで家族3人暮らし。
両親は一般の家庭よりも歳を取っており、父はタクシーの運転手でした。

物心がついた時には両親は毎日喧嘩をしていました。
母もパートで働いている為、保育園に通っており、いつもお迎えに来るのは一番最後。
今思えば母も遅くまで仕事をしていたんだと思いますが、当時は周りの友達の両親が迎えに来るのを見送り、保育士の先生と最後まで待っている事が苦痛でした。
家に帰っても親は喧嘩ばかり。
大体、お酒を飲んでから家計の事で揉めていました。
毎日、怒鳴り声が響く中、当時の私に止める力もなく、トイレに篭り、ひたすら喧嘩が終わるのを数時間待っていました。
何でこんなに毎日喧嘩をするのだろうと思っていました。
当時から親の顔色ばかりを伺い、喧嘩が始まりそうな雰囲気になると話題を変えたり、面白いことを言ってみたり。
それで喧嘩がなくなる訳もなく、ほとんど毎日がそんな日々でした。
この頃から早く大人になって家を出たいと思い始めました。
途中で妹が生まれたのですが、病気で1歳になる前にこの世を去りました。
妹が亡くなった悲しみはもちろんありましたが、当時の私は妹にもこんな辛い思いをさせるのであればいなくて良かった、と考えていました。
とても薄情に聞こえると思いますが事実です。
だんだん親の事が嫌いになり、家に帰るのが嫌になっていました。
喧嘩の最中に『〇〇(私の名前)なんて生まれてこなければよかったのに』という言葉を何度も聞きました。
喧嘩が終わると母の愚痴を聞いていました。
保育園に通っている時の記憶はこれしか残っていません。
楽しい思い出なんかはありません。
家族旅行には一度も行った事がないし、家族で外食に行ったこともありませんでした。
小学生に上がると、友達ができました。
友達も家庭に問題を抱えている状況だったので、ほとんど毎日、学校が終わると外で陽が落ちるまで遊んでいました。
門限などは特に決まっていなかったので出来る限り、長く外で遊ぶ事が多かったです。
小学校も学年が上がるにつれて友達もどんどん増えていきました。
仲の良かった友達の家にほとんど毎日遊びに行ったり、泊まったりしていました。
遊び終わって家に帰ると玄関先まで喧嘩している声が響いていることが多かったです。
ドア越しに聞き耳を立てて、家に入るタイミングを伺ったりしていました。
当時のことは思い出したくもない辛い毎日でした。
辛い日々の中で一つだけ手に入れたものがありました。
それは足の速さです。笑
小学生の頃は仲のいい友達の家が坂の下にあった為、自転車で毎日その坂を降り帰り道は登っていました。
意識したわけではありませんが、毎日自転車で坂道を登ったり、降ったりしていたので足に筋肉がついていたみたいです。
筋トレは全くしてなかったのですが、短距離走は毎回1位を取っていました。
副産物ではありますが、学校で一番足が速くなっていました。
リレーでは毎回アンカーを任されており、走る事が好きになっていました。
もちろん運動会に親が来た事はありませんが、、、

辛い学生時代が続きますが、小学生卒業まではこんなところです。
もうちょっと色々と思い出せば深掘りできるところもあるかもしれませんが、
嫌な記憶ばかりが残るものですね。

次回:辛い家庭環境を跳ね返せ!部活に打ち込んだ中学生〜高校生編

を書こうと思います。

本日もありがとうございました。

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