見出し画像

語学を生活の一部にする

私には「死ぬまでに5カ国語話せるようになる!」という目標がある。それは留学して言語学を学んでいた時代からずっとあるものであって、日常使う母国語の日本語、そして仕事で使う英語以外は、勉強したり、ちょっぴりかじっては挫折する。。を繰り返している。

例えば、

スペイン語。

短大時代、大学時代とガンガン根性で勉強していた時期がある。授業で受講し、単語や文法を覚えた。アメリカにはテレビ番組でもヒスパニックチャンネルがあり、それを必死で観てたりした。ある時は、Duolingoのスペイン語を狂ったようにやっていて、またある時はクラスメートや就職した先の同僚のスペイン人の先生と話してみたり。おかげで言っていることはなんとなくわかるようになった。

しかーーーし!!!未だにできない。

プロフィール欄にちょっとした自己紹介を書くときに、「話せる言語」を語る際、どうしても「スペイン語」って書けない!!

いつも、書けない!!

画像1

どうしてそうなのか考えてみた。一番わかりやすいのは、自分の中で「習得した」に切り替わってないからだって思う。

人はどの時で「習得した」って思うんだろう。スペイン語話者との関わり合いが少ないからだろうか。日常でささっとスペイン語が理解できて、頭に入ってきて、それに対して対応できることかもしれない。もしくは頭で考えるとき、スペイン語が考えられたりすることが大事なのかもしれない。そう、そうです、自己効力感。

自己効力感。

自己効力感とは「自分には達成できる」「それは完遂できる」「乗り越えることができる」といった、平たく言えば自信のような感覚です。心理学者バンデューラが唱えたもので、それぞれの状況や場面における可能性の認知のことで、「セルフ・エフェカシー(self-efficacy)」とも呼ばれています。(Life & Mindより:https://life-and-mind.com/self-efficacy-13957)

私の場合は、生活の中でその言語が自然に自分の一部になったっていう自覚が「習得した」とか「自己効力感」になる気がする。

世の中には、CEFRとかACTFL OPIテストとかTOEICとか、一定の学力評価や資格を基準にして「習得」と考える見方もあるけれど、結局は本人が「できた!」って思えるかだと思う。

そういう自己効力感につながる瞬間を手に入れたい。そう簡単ではないけれど。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?