疲れがふっ飛ばないのは、なぜ?
自己紹介:地方の国立大学卒業後、会社勤めをした後、30才で小売とサービス業で自営になり、40代でライターに転身。こだわりの商品の販売支援をしています。ブランディングやマーケティングの学びのシェアとお役立ち情報をお伝えできればと思っています。
ずいぶん前に、ある才能をつかって大舞台で活躍している人に話を聞いていた。
才能xハードワークで、素晴らしいものが出来ていたのだけれど、そのハードワークさにも目を見張るほどだった。
わたしは質問した「よくそこまで出来るよね、疲れたりしないの?」
答え「もちろんくたくたになって、もうこれ以上出せるものはない、動けないくらいになるけど、ありがとうと言われたら疲れが吹っ飛ぶんだ」
人の喜ぶ顔をみたら、疲れが吹っ飛ぶ
自分が頑張ったことに対して、人が幸せになっていたり喜んでいるのを見ていると疲れなんて吹っ飛ぶ。ありがとうと言われるとさらにパワーが蘇る。
正直なところわたしは、そんなのは言葉だけの話かと思っていた。
なぜなら、わたしは疲れたら翌日起き上がれなくなったり、体の奥底から消耗を感じて死んでいたからだ。
そのときのわたしも、直接ありがとうを言われたり、いい人だね、と言われたりしていて、パワハラやモラハラを受けていたわけでもない。
それなのに、わたしはこんなに消耗している......。
わたしは人の感謝が受け取れていないのか、人の気持ちがわからないのか、自分で自分のバランスを取るのが下手なのか、それとも全部を出し切っていないのか、はたまた感謝が足りないのか。
色々なにが悪いのかを考えたが、結局自分が悪いんだという結論におさまっていた。
ところが、そんなわたしにもつい先日、疲れが吹っ飛ぶことが起きた。
いいものを書いてくれてありがとう
別に大きな賞をもらったわけでも、ばか高い報酬がもらえたわけでもなかった。
けれど、相手が喜んでくれたことで、こちらにもエネルギーが沸き上がってきた。
なぜなんだ。以前との違いはどこにある?
以前も、直接ありがとうと笑顔で言われるような仕事だったのに、何が違うのか?
それは自分のあり方にあった。やはり自分が未熟だったのだ。
Win-Loseの関係
自分を一方的に押し殺して、相手だけが喜ぶ状況を無自覚に選んでいた。そうすると当然ながら削られる。
自分が良いと思うことや願いは、引っ込めて相手が喜ぶことをしていた。
それは一見、良い人に見えるけれど、これは本当の意味ではよくないことだ。自分の方からはプラスを相手に与えていないのだから。
やっぱり与えていなかったし、受け取っていなかったのだ。
Win-Winの関係とは
よく「win-winでいきましょう」とは聞いてきたが、どっちも得をするような状況を指すと考えていた。
けれどwin-winとは、それだけではないのだ。どちらも、自分の価値観を表明できて自分を活かせているときはじめてwinになる。そう考えると過去の疲労感に納得ができる。
自分は良いと思わない不本意なことをやり続けていると、それは徒労感となり自分を削っていくのだ。その結果、相手も一緒にだめになっていく。
自分の価値観に照らし合わせてNoと言えなかった過去の未熟さを思い出す。
これからは、コアバリューに従い、元気で生きていこう。
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