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ゲームの進め方

おはようございます、永遠にふざけているキャラでいたいとらです。

今日は、いつから挑戦的になったのか日常から振り返って話してみたいと思います。
ちょっと役に立つかもしれません。

「失敗」の定義

「失敗を恐れるな」とはよく言ったもので、僕は普通に失敗が怖いです。
僕の周りの人が僕をどう思ってるかはわかりませんが、僕の気持ちとは裏腹に僕のことを挑戦的という人もいます。
これは気持ちをわかってもらえないんじゃなくて、何が「失敗」か、各々の失敗の定義が違うと思うんですよね。

一般的な失敗はプロジェクトを動かしている最中、一部の過程で躓いて周りから笑い者にされることだと思います。

一方で、僕の中での失敗の定義は全てが頓挫してしまうことです。もうどうしようもないくらい滅茶苦茶になって一緒に進めていた仲間とサヨナラしなければいけないことが失敗だと考えています。

この2つの定義から見えてくるのは、前者が現在進行形で後者が未来形であるところが面白いポイントだと思ってて、過程で捉えるか全体で捉えるかで大きく定義が変わってきます。

道中の躓きを失敗と捉える現在進行形の方は正直、舵を取る力が足りない気がしてて、視野が狭まっているのか選択肢が一つしかないと思い込んでいる場合が多いです。
逆に僕の場合は未来の目標さえ達成できればいいので、道中の躓きはあまり気にしていなくて、「こっちの道がダメならあっちの道から行ってみよう」みたいなゲーム感覚で進めていることがほとんどです。
そのおかげで、挑戦のハードルが低く、動きやすい身体になっていると思います。

何をすればいいの?

未来形になろう!というのはとても説教臭くて嫌ですが、もっと身軽になって動きやすくなりたい人は何をすればいいか簡単なアドバイスを書きたいと思います。

未来形の思考をしている人は「踏んでは行けないところを踏まない」ことに徹底しています。
最初は流れに身を任せ進めていても、絶対にこうしたら失敗するというところは存在していて、そこを踏まない、むしろ相手がいるならそこを踏ませるように思考を巡らしています。
そういった思考を習慣にすることから始めればいいと思います。

普段一緒にいる人はもうわかってきたかもしれません。
話してきた思考を気軽に習慣化できるもの、そうです、「オセロ」をすればいいんです。

僕はよく暇な時間、空き時間オセロをしています。他のゲームがあまり得意ではないというのもありますが、ひたすらにオセロをしています。
周りから見れば、ただゲームをしていると思われがちですが、知育ゲームの代表の一角「オセロ」は僕をとても鍛えてくれています。

序盤は相手より多く獲らせて相手の選択肢を徐々に減らしていく。絶対に置いてはいけないところしか置けないような状況を作る

これを永遠に繰り返しています。
やっていくうちにココに置いてくるとか相手の次の打ち手を予測もできて、その後の自分の打ち手まで考えられるようになってきます。

置いてはいけない(=踏んだら失敗に直結する)ところを踏まないことを考え、チマチマと進めていけば挑戦のハードルは低くなっていくのではないかと思います。
少なくとも僕はオセロのおかげでそういった考え方ができるようになったと思います。

なんと言っても、周りは僕のことを「ゲームして時間を浪費している」と思っているでしょう。残念、暇な時間も思考を鍛えているんです。
差をつけれるチャンスにもなっているのかもしれません。

最後まで読んでいただきありがとうございます。
良い一日を!

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