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「切り絵で世界旅」和平飯店老年爵士楽団(上海/中国)1930年代ジャズエイジの世界へと誘われ

    上海旅行で楽しみにしていた一つが、和平飯店で戦前から活躍していた老年爵士楽団(オールドジャズバンド)の演奏を聴くことだった。和平飯店は、外灘(ワイタン)地区にある中山東一路がT字型にぶつかる北と南に建つホテルで、北は旧キャセイ·ホテル、南は旧パレス·ホテルと呼ばれていた。

 夕刻、配偶者と和平飯店北楼に入り、かつて欧米の金持ちや文化人が好んで泊まっていたホテルの重厚で薄暗いロビーを少しぶらついた後で珈琲室のドアを押した。
 通りに面している珈琲室はまだ薄明かりがステンドグラスを通して差していた。演奏には少し早かったようで、頼んだビールとコーラを飲みながら室内に目をやると、窓際に地元の上海人らしい2人が熱心に商談している姿がシルエット状に浮かんでいた。

第一トランペットの周万栄氏(左から2人目)がバンドのリーダー

 やがて外国人客たちが集まりはじめ、席が埋ったところで和平飯店老年爵士楽団の面々が入ってきた。楽団名通り、全員が70歳を超えている感じだった。
 演奏が始まった。「A列車で行こう」だ。次は「世界は日の出を待っている」、さらに「イン・ザ・ムード」とスタンダードナンバーが続く。さらに客からのリクエストにも応え、演奏に合わせて踊るカップルでステージと客席の間は一杯になった。

 1930年代。アメリカが不況のどん底にあったとき、一流のジャズメンが上海に流れ、上海はジャズで活況を呈した。自由劇場のヒット作『上海バンスキング』でみるように、日本人のジャズマンも上海で稼ぎ、箔をつけて帰ってきたものだ。

 老年爵士楽団のリーダーである第一トランペットの周万栄氏は、1922年生まれというから、私が演奏を聴いたときは79歳。戦前にジャズの影響を受け、戦後の改革開放政策の翌年、1980年10月、和平飯店にジャズバンドが登場した。そこから周氏を中心とした和平飯店老年爵士楽団は延々と演奏を続けている。しかも実に楽しそうに。


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