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【翻訳部辞書:D】Dormitory

翻訳部辞書のDを担当することになりました、プロジェクトマネージャー(PM)の小沢です。普段はPM業のほかに、トライアルの窓口を担当しています(トライアルについて書いた記事はこちら)。

翻訳部でDといえば、Dictionaryを期待される人が多いかと思います。ご期待に沿えず申し訳ございません。残念ながら、Dで最初に出てきたのはDogでした。なぜなら犬が大好きだから(今は猫と縁があって猫を飼っています。猫も大好きです)。あまり大きな声では言えませんが、紙のDictionaryはこのnoteの翻訳部辞書の企画がきっかけで何年かぶりに開きました(汗)。翻訳者かレビューアが何かの折に書いてくれることを期待しましょう。

ただ、犬好きのエピソードよりも何かあるだろう、ということでピンときたのがDormitory。大学時代の4年間を大学のDormitory(寮)で過ごしたという人間はそう多くはないと思います。多少の興味を持って読んでくださる方も多いかな、ということと、今の自分があるのは寮での経験や出会いのおかげ、と言っても過言ではないので、この場を借りて書き記してみたいと思います。

Dormitoryとは?

翻訳部なので、いちおう言語的なところから…。日本語読みをすると「ドミトリー」なので、“Domitory”と書いてしまいそうですが、“Dormitory”と“o”のあとに“r”を入れて“Dormitory”とするのが正解です。

ラテン語の“dormire”(眠る)が語源で、“dormancy”(睡眠・冬眠)も同じ語源からきているようです。確かに、寮は眠るための場所ですね。

ユースホステルやゲストハウス等の宿泊施設なんかでは、相部屋のことをDormitory(ドミトリー)と呼んだりもします。

住んでいたのはどんな寮?

わたしが過ごした寮は、大学の構内にあった寮のうちの一つで、校庭に隣接していました。緑の多い学校で、桜の咲く時期になると部屋から満開の桜を望むことができ、秋になると紅葉した桜の葉や、もみじも愛でることができました。

1、2年生時は二人部屋という決まりがありました。最初の部屋はたしか6帖くらいでしたでしょうか。そこに、2段ベッドと、学習机、背の高い2列ある本棚が一人1つと、これまた背の高いクローゼットが一人1つ。はい、ご想像のとおりとても狭い空間です。そこで、入寮日に初めて会うルームメイトとの生活が始まります。ルームメイトと出会う前、出会った時のわくわくした気持ちが懐かしいです。

お手洗い、お風呂、キッチン、洗濯機は共用でした。調律されていない古いグランドピアノが置いてある部屋があり、ときおり美しいピアノの音色が聴こえることもありました。

お手洗いには、トイレットペーパーがセットされていませんでした。というのも、寮で用意したものをホルダーにセットしておいたり、ストックを置いておくと、それを自室で使ってしまう人がいたからです。では、どうするのかというと、各自名前を書いてトイレの所定の場所に置くか、部屋から毎回持って行くかの2択です。個人差はありますが、使い方は、片方の手の指をホルダー代わりにして、もう片方の手にクルクルと巻き付ける(って普通ですかね)。今でも、ホルダーに入っていないティッシュを使うのはお手の物です。
 
お風呂はたしか朝の6時から9時、夕方から夜は17時~夜中の1時の間ならいつでも入れたと記憶しています。1時までなら余裕で入れるでしょ、とお思いかもしれませんが、やはりギリギリの時間に行動する「ギリ人」はどこにもいるもので、その時間に殺到してしまいます。お風呂場自体は広いのですが、いかんせんシャワーが7台しかない。1時を過ぎると温かいお湯が出なくなるので、泣く泣くお風呂に入るのをあきらめる日も少なくありませんでした。人気のテレビ番組のあとに混みあったのも懐かしい思い出です。

キッチンにはレストランの厨房にあるようなステンレス製の調理台と、何台かのコンロがあり、自炊組が料理をしていました。友人と一緒に料理をしたりもしましたが、基本各自が作って食べていました。メニューや料理の腕前によって調理時間がまちまちで、わたしなどは実家を出るまでほぼ料理をしたことがなかったので、初めて友人と一緒に料理をしたときにチョイスした「やきそば」を作るのに時間がかかり、料理好きの友人がパパっと手助けをして仕上げてくれたことを今でもときどき思い出します。今ではやきそばは楽ちんメニューのひとつですよ(念のため)。

寮に入ったきっかけ

どうしてわたしは一人暮らしではなく、寮に入ることを選んだのか。実はそこには深い意味はなく、ただ運命のいたずらが関係していました。
 
地元は茨城で、東京の大学に通うことになったので、まず下宿探しだ!一人暮らしだ!と意気込んで、東京で一人暮らしをしていて交渉上手な兄(当時大学2年生)に、「家探しをするから同行してほしい」旨を連絡しました。ところが、「いや、明日から1か月くらいタイに旅行に行くから無理」と言うではありませんか。頼りにしていた兄がいないなか家探しか~、と途方に暮れていたわたしに母が、「大学の寮もいいかもしれないよ」と「入寮案内」の書類を手渡し、「お金がかからない」、「女子寮だから安全」、「友達ができる」、「部屋から桜が見られる」というキーワードに魅了され、家探しも面倒だし、とその日のうちに入寮を決意した覚えがあります。
 
あのとき兄がタイに旅行に行っていなかったら、兄の出発が遅かったら、きっと寮には入っていなかったことでしょう。

寮に入ってよかったこと

たくさんありますが、3つにまとめます。
 
まずひとつめは、いろんな友人に出会えたことです。たまたまわたしは運がよかったのかもしれませんが、ルームメイトやいい友人に恵まれました。彼女たちに出会ったおかげで、サークルやアルバイト、旅行や勉強とたくさん刺激を受けました。今でも連絡を取り合ったり、会ったりしています。多種多様な人たちの中にも臆せずに入っていけるようになったのは、寮生活のおかげかもしれません。
 
当然のことながら、ルームメイトとうまが合わない子や、寮の生活になじめずに退寮していった子もいました。合う合わないは人それぞれだと思います。
 
ふたつめは、先輩や後輩とのつながりができたことです。先輩からは授業の選択の仕方を教えていただいたり、教科書を譲っていただいたり、学生生活を謳歌する(切り抜ける?)術を教えていただきました。後輩にも同様に伝授し、少しは役に立てたのではないかと思っています。わたしが一人目を出産後に派遣社員として働いた小さな会社で、その術を伝授した後輩に再会する、という偶然もありました。その子には逆に仕事で大変お世話になりました。
 
みっつめは、寮費が安かったこと。たしか月15,000円程度(電気代は別)だったかと思います。いま思えば、仕送りも少なく済んだだろうし、親孝行をしたもんだ、と勝手に思っています。


なんだかなぁ、だったこと

ひとつめは、門限が厳しかったこと。23時20分が門限だったのですが、東京郊外の寮だったので、特に飲み会好きなわたしにとってはその時間はキツイものがありました。門限になると構内に入るための門が閉まると同時に、寮の玄関も閉まります。門限を破ると守衛さんのブラックリスト入りして実家に連絡されるという言い伝えがあり、ルールを守るのに苦労した記憶があります。
 
※「門限が厳しい」と書きましたが、自宅から通っていた大学生のほうが厳しいケースもあるかもしれませんね。あくまで飲み会好きなわたしの主観です。

ふたつめは、夏季休暇と年末年始は寮が閉まってしまったことです。数棟あった寮のうち1つだけ夏季休暇の間は空いていて、4年生が優先的に入ることができました。そのほかの学年の人たちは、強制的に寮を出され、実家に帰る人もいれば、どこかで住み込みバイトをしたり、海外に行ったり、と長期休暇前になると自身の居場所探しに奔走していました。ただ、いま思えば、アルバイトを堂々と休めて、普段は体験できないことなども体験できたのでよかった点のひとつかもしれません。昨年から今年にかけてはコロナで実家に帰るのさえも難しいだろうことを思うと、寮生たちはどうしていたのだろうと気にかかります。
 
みっつめは、ほぼ毎年おこなっていた部屋の移動です。寮が自治寮だったため色々な係があったのですが、自分がなった係の負担度合いによってポイントがもらえ、そのポイントが高い人から好きな部屋を選ぶことができました。毎年、よりよい部屋へと移動していきます。それで特に大変だったのが、冷蔵庫の運搬です。男子禁制なので、女子二人で行わなくてはならないのですが、冷蔵庫の重いこと重いこと。異なる階への引っ越しは本当に大変でした。

住めば都

というわけで、はじめは不安でいっぱいだった寮生活でしたが、狭い部屋にもすぐに慣れ、友達もでき、とても楽しく過ごすことができました。もちろん、いろんな人が住んでいるのでトラブルも多々ありましたが、時間の経過とともに美化されていっているのかもしれません。


おまけ

最後に、大学を卒業後にアメリカで日本語教師のインターンをしていたときの話を少し。そのときの住まいもDormitory。びっくりしたのが、男女一緒の寮だったということです。共有のトイレやシャワー室(トイレと同じ場所にあった)も男女共同。シャワーを浴びて出てきたときに、酔っぱらった男子学生がトイレから出た瞬間に目の前でぶっ倒れる、なんてハプニングもありました。また、部屋の壁が薄く、隣の部屋の声が筒抜けで、隣室の男子学生がよくお母さんに電話をして、最後は必ず“I love you, Mom”で締めくくるのにも衝撃を受けました。「マザコンなのか?」と思いましたが、調べてみたら家族や恋人との電話を切る際の常套句とのこと。自分の思い込みで決めつけずに、他国の文化を知るというのは大切なことですね。
 
以上、わたくしのDormitoryよもやま話にお付き合いいただきありがとうございました。

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