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建築家の住宅論を読む<8>~吉村順三~

皇居新宮殿(基本設計)、奈良国立博物館新館(日本芸術院賞受賞)、国際文化会館(前川國男、板倉準三と共同設計)などの著名建築を手がけた建築家吉村順三は、戦後日本の建築界を代表するひとりであり、明治生まれの気骨のようなものを感じさせるその風貌からして重鎮と呼ぶにふさわしい建築家でした。 

同時に吉村順三は、生涯に200を越す住宅を設計したことで知られ、モダニズムのなかに日本の木造建築のよさを活かした、その誠実で質実な作風に魅了された人は今も少なくありません。 

『建築家 吉村順三にことば100 建築は詩』(吉村順三建築展実行委員会編、彰国社、2005)は活字になった吉村の言葉を集めた語録集です。その多くは住宅や住まいに関する言葉であり、簡潔平易でありながら含蓄のある言葉が並んでいます 。

あふれる情報に取り囲まれ、ともするとそれらに流され、一喜一憂してしまいがちな今日。住宅を取り巻く状況もその例外ではありません。住まいづくりで迷ったとき、悩んだとき、原点に立ち返って考えてみたいとき、この住宅の名匠の言葉は、そのよりどころとなるでしょう。 

「日本の気持ちから出たものを」

 
「日本の気持ちから出たものをつくるべきでしょうね。つまり簡素でありながら美しい、というものなどを考えてですね」と吉村順三は言っています。 

多言を弄しない吉村順三の言葉はそれだけ耳にすると当たり前すぎるほど当たり前で、最初はやや戸惑うほどですが、その背景には深い洞察が横たわっています。 

吉村のいう「日本の気持ち」とは具体的にはどういうものでしょうか。 

吉村順三は日本建築の特色は、<内と外を流動する自由な空間><純粋さ><誠実さ>そしてそこからくる<芸術性>、この4つの要素だとして、これを発展させていくことによって日本の建築家はユニークな仕事を世界に示すことができると述べています。 

室内と外との自由な交流は、季節の移り変わりを室内に反映し、西洋建築にはない大らかな気分を生みだします。<純粋さ>とは必要なものだけで構成された簡素で清楚な美しさを指しています。建物の目的を忠実に解決することを第一に考え、造形を必要以上に強調しない日本の建築表現を吉村は<誠実さ>と言いました。そして<純粋さ><誠実さ>からくる日本独自の美を<芸術性>と呼んだのでした。 

吉村の手がけた建築は、規模の大小、用途の違いにかかわらず、モダニズムのなかでこの要素を実現しようとした建築といえます。 

風土と文化に根ざした、必要最少限の、シンプルなかたち、素直さ、正直さ、合理性、釣り合い、単純明快、少ない材料で豊富な空間、昔の人の知恵など、吉村が語るキーワードはすべて「日本の気持ち」を物語ったものといえます。 

八ヶ岳高原音楽堂 photo by midorisyu /CC by 2.0

日本の風土や文化、日本建築の伝統を語る吉村ですが、帰国した師アントニン・レーモンドに呼ばれ渡米したアメリカでは、コロニアル時代の住宅が最も魅力的で影響を受けたといっています。

「あの時代の非常に大変な生活の真剣さが建物に表れています」と語る吉村は、アメリカの開拓時代の質素な住宅に、新たに始まった近代という困難な社会を生きる寄る辺ない個人のよりどころとなっている姿を見たのではないでしょうか。 

吉村が語る日本や伝統や文化とは、意匠としての日本や雰囲気としての和風のことではなく、近代社会のなかでの、日本人あるいは日本人建築家としてのレゾンデートル(存在意義)のことだったと思われます。吉村流の言葉で言えば<重心>ということになるでしょうか。 

「自分では寸法にいちばん責任をもっている」

 
「私は、建築家として、自分では寸法にいちばん責任をもっている」という言葉は、吉村順三の建築家としての姿勢をよく表している名言だと思います。 

「良いデザインの基本は、プロポーションしかないと思います」、「建築の完成度は、詳細に検討された各部の寸法、比例によって決まる」とも言っています。 

寸法(つまり形やプロポーションや広さや高さなどを決定すること)のほかに、配置、構造、色、素材、意匠、設備などさまざまな要素が一体となって成立するのが建築ですが、そのなかでも建築は突き詰めると寸法が最も大事であると吉村は言い、それを決定するのが建築家の役目であり責任であり、そこには建築の本質を見据えた一人の建築家の姿があります。 

パルテノンや法隆寺や桂離宮などの名建築が人を感動させるのも、あるいは昔の日本家屋に感じる居心地の良さも、きちんと考え抜かれた寸法とプロポーションの空間だからこそ、ということに改めて気づかされます。 

「昔の日本のうちにいってみんななんとなくいいってことは、大切なことがちゃんと裏づけされているから、良いんであって、さもなけりゃ、なんにもない日本間のインテリアなんてのは空しくてすめたもんじゃないと思うね」という言葉は、エドワード・S・モースが、明治初期の日本の庶民の住まいを見て感嘆して語った「目を煩わすようなものをほとんど何も置かないという完璧な清浄さと洗練」という言葉を思い起こさせます。まさに日本におけるシンプルシティの美です。 

最終的には図面上の素っ気ない数字やたった1本の線として表現される寸法の陰には、建築家が想像し、自己批評と推敲を重ね、決断した、人の暮らしや人間の心理劇への眼差しと独自の美学が横たわっているのです。 

「建築家として、もっとも、うれしいときは」

 
やや長いですが、最後に住宅や設計や建築への思いを語った吉村順三の言葉を引用します。モダニストでありながら、どこか職人の仕事に対する真摯さや矜持を感じさせる、この明治生まれの名匠が語った言葉は何回読んでもその誠実さに打たれます。 

「建築家として、もっとも、うれしいときは、建築ができ、そこに人が入って、そこでいい生活がおこなわれているのを見ることである。日暮れどき、一軒の家の前を通ったとき、家の中に明るい灯がついて、一家の楽しそうな生活が感じられるとしたら、それが建築家にとっては、もっともうれしいときなのではあるまいか。家をつくることによって、そこに新しい人生、新しい充実した生活がいとなまれるということ、商店ならば新しい繁栄が期待される、そういったものを、建築の上に芸術的に反映させるのが、私は設計の仕事だと思う。つまり計算では出てこないような人間の生活とか、そこに住む人の心理というものを、寸法によって表わすのが、設計というものであって、設計が、単なる製図ではないということは、このことである」

  

吉村順三(1908-1997)

明治41年、本所の呉服屋に生まれる。東京美術学校(後の東京芸術大学)卒業。レーモンド建築設計事務所を経て1941年、吉村順三設計事務所を開設。母校での建築教育にも当る。東京芸術大学名誉教授。1990年日本芸術院会員。前掲作品以外に「俵屋」、「愛知県立芸術大学」、「青山タワービル」、「八ヶ岳高原音楽堂」など。住居系では「軽井沢の山荘(吉村山荘)」が有名。宮脇檀や中村好文が師事した。

 初出:houzz site

 

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