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レイモンド・チャンドラー『ザ・ロング・グッドバイ』を英語で読もう ~ Chapter 7 ~

 拘留されたマーロウを待ち受けるのがロス市警の殺人課の課長グレゴリアス警部。第7章の見どころはこのグレゴリアスという人物を活写する冴えわたるチャンドラーの比喩である。 

 The homicide skipper that year was a Captain Gregorius, a type of copper that is getting rarer but by no means extinct, the kind that solves crimes with the bright light, the soft sap, the kick to the kidneys, the knee to the groin, the fist to the solar plexus, the night stick to the base of the spine. Six months later he was indicted for perjury before a grand jury, booted without trial, and later stamped to death by a big stallion on his ranch in Wyoming. 

 のっけから「まぶしいライトとソフトなsap(棍棒)と腎臓へのキックとgroin(股間)への膝蹴りとsolar plexus(みぞおち)への拳骨パンチとgroin(脊椎)へのnight stick(警棒)の殴打で犯罪を解決する決して絶滅はしないタイプの警官」という比喩が並ぶ。night stick(夜の棒)が警棒を意味するというのが怖い。 

 さらに「6ヵ月後、偽証罪で解任され自らワイオンミングの牧場で牡馬に踏みつけられた死んだ」とグレゴリアスの人生の結末を先取りすることによって彼のに日頃の仕事ぶりを暗示する。 

 グレゴリアスの容貌はこう説明される。capillariesは毛細血管、blunt は鈍い、backは手の甲、grizzed tufsは灰色の毛の房、stick outは突き出る、という意味。 

He sat behind his desk with his coat off and his sleeves rolled almost to his shoulders. He was as bald as a brick and getting heavy around the waist like all hard-muscled men in middle age. His eyes were fish gray. His big nose was a network of burst capillaries. He was drinking coffee and not quietly. His blunt strong hands had hairs thick on their backs. Grizzled tufts stuck out of his ears. 

 「レンガのように禿げ上がり、腹回りにはたっぶり贅肉がつき、切れた毛細血管が浮き出た大きな鼻と魚を思わせるような灰色の目をした、ずんぐりした指の無骨な両手の甲には剛毛が生え、耳の穴からは白髪が混じった毛の房が飛び出している」そんな中年男。おまけに「上着を脱いでシャツの袖を肩まで捲り上げ、音を立ててコーヒーを飲んでいる」最中ときた。さらに他のところには I smelled his sweat and the gas of corruption 「汗と腐ったような匂いをさせている」といような描写もある。 

 チャンドラーは長年の組織の垢にまみれた権威主義の中年男をこれでもかというぐらいの臨場感あふれる筆致で描く。 

 グレゴリウスは後ろ手に手錠をかけられて身動きのできないマーロウに飲みかけのコーヒーをぶっかけたり、「法律通りにことを進める警察なんかはどこにありゃしない」などと凄む。 

 “You think any goddam private eye is going to quote law at me over this, mister, you got a hell of a tough time coming your way. There ain't a police force in the country could do its job with a law book. You got information and I want it. You could of said no and I could of not believed you. But you didn't even say no. You're not dummying up on me, my friend. Not six cents worth. Let's go." 

 このグレゴリアスのセリフの後半に出てくるcould ofというのが分からない。辞書を調べても載っていない。ようやくネットで調べるとcould haveのuneduceted sayなのだそうだ。なるほど両者は発音が似ている。グレゴリアスの出自をさりげなくほのめかすような言い回しなのだろう、こうしたなにげない細部の言葉にこだわるのもチャンドラーならではだ。 

 口を割らないマーロウ。グレゴリウスはマーロウの首にpiece of ironのようなパンチを食らわせて得意げに次のようなセリフを述べる。このグレゴリアスのセリフに七転八倒する。 

 "I used to be tough but I'm getting old. You take a good punch, mister, and that's all you get from me. We got boys at the City Jail that ought to be working in the stockyards. Maybe we hadn't ought to have them because they ain't nice clean powderpuff punchers like Dayton here. They don't have four kids and a rose garden like Green. They live for different amusements. It takes all kinds and labor's scarce. You got any more funny little ideas about what you might say, if you bothered to say it?"

 "Not with the cuffs on, Captain." It hurt even to say that much. 

 stockyardsとは漠然と物の保管場所のことかと思っていたが、家畜を船積みや屠場に送る前に一時的に保管しておくところを指す言葉なのだそうだ。ここのところは清水訳では「屠殺場で働く方がいいような奴ら」、村上訳では「腕っ節を振るうのが三度の飯より好きな荒くれた連中」といずれも、なじみの薄いストックヤードの意味を噛み砕いて訳している。 

It takes all kinds and labor's scarceというのがかなりの難物だ。 

 It takes all kindsはIt takes all kinds(or sorts) to make the worldという決まり文句の前半の部分らしい。「世の中を作るにはさまざまな人が必要だ」という意味なのだが、ネイティブの会話のなかでは最初のフレーズだけで通じる慣用句なのだろうか。前半の部分だけで頭をひねっていても絶対に分からないわけだ。日本語で言えば「世の中いろいろ」というニュアンスだろう。 

 さらに短いlabor's scarceもどういう構文か全く分からなかった。単語の意味からようと労働力が不足している、つまりなり手がいない、ということを意味しているのだろうが、所有格の後ろにくるのは名詞だから、普通はlabor's scarcityになるのではないだろうかなどと考えながら、四苦八苦しているうちに、ふと、この’sは所有ではなく省略のアポストロフィーなのではないか、labor is scarceの省略形なのではないかと気がついた。 

 一方でいくら話し言葉とはいえ、laborのような一般名詞が主語でその後ろのbe動詞を省略形とするのは違和感が否めないし、そもそもlabor is scarceと言い方自体が逆に普通の会話で使う言葉には思えないような生硬さが感じられてならない。 

 こうした不自然な言い方には、わざとはしょった言い方をして得意げになる、硬い言葉を引用して知ったかぶりをする、などそんな感じが漂う。 

 ひっとしたらチャンドラーは、自分が優位だとみるやいかにも自慢気に話始めたり、調子に乗って事情通ぶった解説をしてしまうような、そんな底の浅い性格を描くために、意図的にグレゴリウスニにこういう言い方をグレゴリウスにさせているのではないか、と深い読みしてみたがどうだろうか。 

 if you bothered to say it?という簡単な文にも悩む。辞書にはbother to不定詞は主に否定文で使うと載っているが、肯定形ではtake the trouble to doまたはmake the effort to doというニュアンスに意味合いになる。「何か言う気があればの話だが」という感じか。得意げなグレゴリアスが目に浮かぶようだ。 

 It hurt even to say that muchのhurtは他動詞ではなく自動詞でit hurtで「痛い、つらい」という意味だ。そういえばフランソワーズ・アルディの「さよならを言わないで」の元歌は英語の曲で ”It hurt to say good bye” という題名の曲だった。ちなみにフランス語の”Comment te dire adie” というタイトルと歌詞はセルジュ・ゲンズブールの手による。直訳すると「あなたにさよならをどう言えばいいの」という意味合いになる。 

 先の文にもどると、こういうところに出てくるevenやthat muchも日本語にしようとすると結構難しいが直訳すると「これだけ言うのにもやっとなほど痛かった」ということになる。 

 連れて行って供述を取れ、とグリーンに命令するグレゴリウス。"Let's have the exit line, chum."(村上訳では「退席の一言があるんじゃないのか、先生?」といかにもグレゴリアスが言いそうなセリフに訳されている)と促されてマーロウはここぞとばかりまくし立てる。 

 "Yes, sir," I said politely. "You probably didn't intend it, but you've done me a favor. With an assist from Detective Dayton. You've solved a problem for me. No man likes to betray a friend but I wouldn't betray an enemy into your hands. You're not only a gorilla, you're an incompetent. You don't know how to operate a simple investigation. I was balanced on a knife edge and you could have swung me either way. But you had to abuse me, throw coffee in my face, and use your fists on me when I was in a spot where all I could do was take it. From now on I wouldn't tell you the time by the clock on your own wall." 

 「あんたはゴリラのような人間だけでなく無能な人間だ。簡単な尋問だってまともにできない。これから先、あんたの部屋の壁の時計が何時を指しているかを尋ねられても教える気はない」とタンカを切るマーロウ。 

 But you had to abuse meのhad toは通常「~しなければならなかった」という意味だが「実際に~という行動をした」ことも含意している言い回しなのだそうだ。 

 終わりに近いところのall I could do was take itの解釈に悩む。take itは耐え忍ぶという意味で、ここの文は「黙って絶えるしかないような状況に置かれている時に」という意味だがbe動詞の後に動詞の原型が来ているのが腑に落ちなかった。調べてみるとbe動詞の主部にdoが含まれる場合、その補語はto不定詞のtoが省略された原型不定詞がくることもあるのだそうだ(特にアメリカのくだけた言い方の場合では)。最近の受験英語では頻出のところだそうだ。失礼いたしました。 

 グリーンがマーロウを連れて出て行く直前に一本の電話がかかってくる。デイトンが電話に出てグレゴリアスに「オルブライト本部長です、サー」と告げる。受話器に向かって話しながら強気のグレゴリアスがみるみる狼狽し、しどろもどろになるシーンが見ものだ。scowl はいやな顔ををする、snotty bastardは洟垂れ野郎、ferociousはひどい、すごいというような意味。 

 He held the phone out to Gregorius. "Commissioner Allbright, sir."

Gregorius scowled. "Yeah? What's that snotty bastard want?" He took the phone, held it a moment and smoothed his face out. "Gregorius, Commissioner."

He listened. "Yeah, he's here in my office, Commissioner. I been asking him a few questions. Not co-operative. Not co-operative at all ... How's that again?" A sudden ferocious scowl twisted his face into dark knots. The blood darkened his forehead. But his voice didn't change in tone by a fraction. "If that's a direct order, 'it ought to come through the Chief of Detectives, Commissioner.. . Sure, I'll act on it until it's confirmed. Sure ... Hell, no. Nobody laid a glove on him . . . Yes, sir. Right away." 

 電話に出る前は「あの洟垂れ野郎がなんの用だ」と息巻いていたグレゴリウスが話しているうちに「突然、顔がいくつかの暗い結び目に変わってしまうほどひどいしかめっ面」になる。ロサンゼル郡を管轄する地方検事局が乗り出してきてレノックス事件をグレゴリアスたちのロス市警の手から取り上げてしまったことを本部長から告げられたことがその原因だ。 

 do not lay a glove on ~は「~に手を出さない」という意味。「誰も指一本ふれちゃあいません」と答えるグレゴリアス。よう言うよ。 

 以下、この章に出てくる警察関連の用語を少し整理してみた。 

 CommissionerはPolice Commisionerのことで、警察本部長を指している。アメリカでは警察の最高職の本部長は叩き上げではなく市長から任命される一般職である。現場から叩き上げの制服組とは微妙な距離感があるのかもしれない。 

 D.A.ことDistrict Attorneyはロサンゼルス郡を管轄する地方検事局であり、アメリカでは市警とは別に郡を管轄する地方検事があり、地方検事局長は選挙で選ばれる。選挙を意識する地方検事は往々にして選挙受けしそうな事件をロス市警から横取りしたるもする。 

 前章から登場するグリーンの肩書きのsurgentは役職名でいうと巡査部長。一般的にはdetective bureauに所属するsurgentは部長刑事と訳されることが多い。逆に部下のデイトンはdetectiveと呼ばれているが、役職名では巡査にあたるpolice officerとなるのだろう。 

 グレゴリアス警部は殺人課のskipperと表現されているが、このskipperは部隊の長、ボスという意味で使われる。ここでは課長ということになる。 

 マーロウは郡留置所に移されることになるが、事件を取り上げられて憤懣やるかたないグレゴリウスは最後に”Never laid a glove on him”とうそぶいて退出前のマーロウの顔に唾を吐きかける。

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to be continued

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