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他人を救おうなんて傲慢だ

おはようございます。

久しぶりにカフェに来て、1人時間を味わっています。

しっかし、空調が全然効いてなくて暑いよー。
(アイスコーヒーで正解!)


さて、最近、職場の元同僚とLINEをする機会がありました。


「もう(仕事)辞めたいと思ってる」


「先に課長に言った?」と。


彼女は今も、役所に勤めている。

しかも、なかなか専門的で激務な場所だ。

(誰も行きたがらない)


そんな彼女は、

昨年くらいに婦人系の病気が見つかって…


先月くらいには、皮膚に蕁麻疹。


「大丈夫かな〜」と心配していたところに、

「もう辞めたい」「体調が悪い」と連絡が来た。

前々から

「辞めたい」「専業主婦がいい」

などと口癖のように言ってはいたけど、

今回はマジな雰囲気が伝わってきた。


私は彼女の繊細だけど明るくて、

ふざけているところが好き。


しばらく会っていないけど、

きっと無理して職場に行って、

作り笑顔で頑張っているのだろうと思うと

心が苦しくなる。


今すぐにでも休職すればいいのに。


「辞めたい」という本音。

「この先の人生決まってないのに辞めていいのか」

「休んだら迷惑をかけてしまう」

という不安。


その気持ちが、

彼女の中でせめぎ合っているようだった。


痛いほど、わかる。


私は辞めてからも、

しばらくは「罪悪感」と共に過ごした。


「家で何もしない」ということに耐えられなくて、

自分の価値って何なんだろう?とか考えて。


それでも、たくさん葛藤して、

ちょっとずつ自分を許せてきて。


今は、日常の小さなことに幸せを感じられるし、

あの選択をしてよかったと思えている。


こんな私の経験が、

彼女に何かアドバイスをあげられたら・・・。


でも何も良い言葉が見つからない。


「とりあえず診断書書いてもらって、
ちょっと休んで、この先のことゆっくり考えてみたら。」


心と体がゼロに戻らないと、正常な判断もできない。


そんな極めて普通なことしか言えない自分。


既読にはなったけど、

何も返事はなかった。


「他人の心配をしている時間なんて無駄だ」

という人がいる。


確かに、

彼女は”自分で選んで”そこにいるのだ。


彼女の人生は、彼女自身の選択が作っている世界。


魂レベルでみたら、

まだそこで何か「学ぶべきこと」があるのかもしれないし、

私のように「強制終了」が来て

やっと自分と向かうことができるのかもしれない。


「彼女がもっと苦しむ前に助けてあげたい」

なんて傲慢だ。

自分のエゴでしかない。


彼女は、彼女にとって「ベスト」な人生を今生きていて、

経験から何かを学ぼうとしていて、

これからの人生とじっくり向き合っているのだ。


それは私が責任を取れるものでもない。

「馬を水辺に連れて行くことはできるけど、水を飲むのかは馬次第」

「嫌われる勇気」より

アドラー心理学に出てきた「課題の分離」を思い出した。


エゴがどんどん出てくるけれど、

私は、彼女がさらに助けを求めて来るまでは、

このまま静かに見守っていようと思う。


きっと最悪な事態になる前に、

彼女の亡くなったお母さんが助けてくれると信じてる。


どうか、お願いします。


おわり



















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