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今もまだ、生きているので

1986年はライフガードという炭酸飲料が生まれた年だそうで。
ぼくはライフガードの10歳年下で、
今、彼を飲みながらこれを書いています。

こんにちは。初めまして、Kです。

noteを一度消して、また性懲りもなく還ってきました。
以前、まつながこうすけ、という名前で何かを書いておった者です。

27歳にもなってまで生きていちゃ困る、と思いながら、
何かを読み、書き、見て、感じて、傷つけて、傷ついて、
罪悪感と傲慢さの間をふらふらしながら、
このnoteを書いていく所存です。

何だか大見栄切ってしまったな、、、。
まあいいか。

「noteは長文のSNSである」と誰かが言った。
だからか、と思った。SNSが苦手だ。
ゆえにnoteも続かなかった。

noteの投稿者が一人消えても、
寂しさは残っても、代替可能存在として
烙印を押されるようにnoteは続いていくのだから。

でもそれは他のSNSでも一緒なんだけどさ。

人と持続的な関係をつくるのが苦手だから、継続できない。
すっぽりとアカウント削除して、周りに傷を与えている。

現実の人間関係だって、得意じゃないけど。
いつも心が渋滞して、パンクして、アカウントを消してしまうのだ。

呪術廻戦の狗巻とげみたいに、
おにぎりの具だけしゃべっていたら、楽なのにね。
人を傷つけない、「しゃけ」「おかか」「たかな」って言葉だけで
生きられたら楽だけど。それじゃ、愛は伝えられなさそうだ。

自分の心を省みる。これはもう癖で、習慣で、趣味だろう。

自分のことをhsp(Highly Sensitive Person ハイリー・センシティブ・パーソン=とても繊細な人)だと思ったりするけど、
でもそれを声高に言う気にはならないし、当てはまらないのかもしれない。

誰がhspでもいいし、それを誇ろうが引け目に思おうが、自由だ。
好きにすればいいのだ。

だいたいがこういう人間なのだ、自分は。
みんな好きにすればいいと思っている。
ある程度のラインを守ったならば、他は自由で、と。
そう思わないと、心がしんどいのだ。

助けて欲しいから、同情されたいから、自分はhspの傾向がある、
とは言わない。

どう受け取っても自由だし、悪く思われても、
ただ悲しいと思うだけで、そこに理解の通路は通わない。
それでいいのだ。

今は、それでいいのかもと思う。
常に何かをぐるぐる悩んでしまうたちなのだ。

noteもそんな気持ちでやれたらいい。
もしかしたら、これが最後の投稿かもしれないし、
明日にはアカウントを消しているかもしれないけど。

辛くならない程度に、ゆるりと続けられたらいい。
肩肘張らず、自分を大きく見せようとせずに。

ぽつりぽつり等身大の言葉で
生活の素朴さと灯台の光などについて、
書けたらいいなと。思います。

めちゃくちゃな人間なので、きっと
めちゃくちゃなことを書く日もあるだろうけど。

気が向いたら、また何かを書こう。
読んでくれたらうれしいです。

よろしゅうお願いします。

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