JazzとRock,そしてGuitar. について。(垂れ流し演奏論)
楽器を触って長いと色々演奏の質が見えて来る。
こんなこと書くと後から自分を苦しめそうだけど。
個人的に楽器のソロやラインにおいて、
jazzは文でロックは声で表現している。(どゆこと?)
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文と声
ジャズはあるシチュエーションにおいて自分のジャズ言葉で文章を綴っていくと言う感覚。借りて来たとってつけたようなものではなくて自分の言葉に消化してないと言葉の受け売りでつまらないものになってしまう。
だからジャズが難しかったり、衰退していった原因はここだと見ている。借り物ライン見え見え、でも発展し辛すぎ。発展したらしたで今度は聞き辛すぎ(論文のような内容聞かされても)。ちょうど良い自分らしさのある文章で綴るのは何と難しい事か。
ロックはもっとわかりやすく、感情で、声で話したり歌ったり叫ぶ感じ。僕はギターなのでその気になれば今は色々な機材を使い、それは様々な表現に簡単に出来るようになった。
でもロックの最も大切な表現は地声なのだ。自分のソロの途中でエフェクターを踏んで、“武田鉄矢の声で「僕は死にましぇーん」”(古いな)とか、“セカチュウの「助けてください!!」”(古いなぁ)をあの声で急に言われたら途端にソロの意味がわからなくなる。
エフェクターってそういう面が大きいと思う。色々な役者の様々な声が出せます!って言われても余り自分の為にはならない。だから使いこなすにはやはり時間がかかる。
それとロックには個人的にもう一つ言いたい事がありまして…
“それ心から弾いてるんですか?それとも知ってる(できる)から演ってるんですか?”問題。
大好きなんだけど、ゲイリー・ムーアのバラッドが個人的にはこれかな。“メシアが再び”(麗しの邦題)のライブ音源なんか、かっこいいんだけど、やり方を知ってるから、できるから弾いてます感がある。全体じゃないけどいつもそう。ここにゲイリーが今ひとつ超一流扱いされてない理由だと思う。どうしてもエリッククラプトンとは横並びに評価されない。
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“心から”と、”知ってるから“
心からの演奏を目指したかったら他の楽器を模倣し、お決まりの演奏をしたかったら自分の楽器を模倣する。これに尽きる。
心からの演奏、ハマればこんなに素晴らしい表現はない。胸に刺さったわ〜。最高。もう一回聞きたい。もちろんしっかりとした土台があった上での表現。ないと支離滅裂。他の楽器から音を移行(コピー)する段階であれこれ自分自身が関わるから、パーソナルな表現になりやすい。
お馴染みの演奏をお馴染みの場面で演奏するという事は泣かせる所で、はい、泣けよと泣かす。マンネリの大切さ?知らない。そんなの。まあ2流のドサ周りがそう。真新しい事何もない。知ってるから弾くんでしょ?みたいな。へっ。(厳しい)
お決まりの演奏法は同じ楽器奏者の人がしている事を、行為ごと真似る。音符以外の行為も。なので初心者にはいい勉強かもしれないです。だがずっとそうだと問題あり。それ誰の演奏ですか?誰が感じた事ですか?あなたじゃなくても大丈夫ですよね?
…しかしまぁ演奏中困った時の処理方法としては知っておかないといけない事もあります。
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ラインの構築
さて、アドリブ演奏の基本は
ロックは1音、ジャズは2音にアプローチする。
だからロックはとてもストレート。ぐいぐい前へ行く。(ルート多し。)
一方ジャズは2音なので揺らぐ。真っ直ぐ進む時もあればそうでない時も。(3度、5度多し。)
もちろんこれらは基本の話でロックが2音、ジャズが3音以上の時もあって然り。別に自由だし。
でも基本に立ち返る時は役に立つ。ボーッと何にも思い浮かばない時はギターを抱えてコード進行と共にアプローチしていくとゆっくりと音楽に近づいて行く。
最近そんな感じでゆるく練習が始まる日が多いです。。
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