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大人になるということ

1日遅れてしまいましたが、新成人の皆さんおめでとうございます。

ふと気になったから調べてみたのだけれど、調べた限りでは世界に「成人式」として新成人を祝う催しがあるのは日本だけみたい。(マサイ族みたいな民族としての通過儀礼は除く)

私は日本のこの文化をとても素敵だなぁと思う。女の子たちはみんな可愛らしい振袖を着て、男の子たちも人によっては入学式以来のスーツをビシッと決めて。社会的にも大人になるということを国が日を定めて祝福する。

もちろん毎年ヤンチャな人たちもまだまだいて、カラフルな袴を着たり花魁のような着物を着たりして酒を飲みまくり、騒ぎ散らして警察沙汰になる……いるよねぇ。そういうのって北九州とか沖縄のイメージが強いんだけど、これはやっぱりメディアのせいなのかな?それとも中でも派手なのが南の方ってだけなのかな?

かく言う私の成人式の一日はこんな感じ。

6:00 起床
7:00 美容院へ→ヘアメイク・着付け
9:00 母校へ挨拶
11:00 町の成人式に参列
13:00 母校開催の成人を祝う会に参加
15:00 ホテルにて二次会
16:00 先輩と合流→ご飯・カラオケ
21:00 帰宅

中学校から私立に行ってしまったゆえに、地元の友達と会うのは小学校卒業以来、つまり7〜8年振りだった。

同じく中学校から私立に行った友人と参加したのだが、二人して緊張してしまって「あれ○○さんじゃない?」等とコソコソ話しながら参列した。勇気を出して小学校の頃の同級生何人かに声を掛け、写真を撮ってもらったけれど、あの写真は今どこにあるんだろうな……

そして先ほどの一日の流れを見る中で「おや?」と思ってほしいところがある。それは二次会〜先輩と合流の間が1時間しかない点である。というか先輩の登場が謎である。

何を隠そう中高の仲が良かった友人達がこぞって海外にいたり、面倒を理由にしたり、浪人してたりで参加しなかった。

二次会に行ったものの、お陰さまでつまらなくて仕方なくなり、仲良くしてくださっている先輩に「先輩、今から会いましょう。」と突然電話を掛けて、誰にも悟られないように会場を後にし、奢られに行ってきた。そこで付き合ってくれる先輩には大感謝でしかない。

普段お酒を全くと言って良いくらい飲まない私なのだけれど、そこで飲んだカクテルは忘れられない。行ったことのあるお店の数は勿論少ないのだけれど、そこのお店にしか置いているのを見たことがない。だから、私にとってそのお店はとても特別なお店になった。

さて、成人式、大人、で思い浮かべる最近経験したことを書くのだけれど、何度か会ったこともあった旦那さんの小学校からの親友が去年結婚し、先日新居に遊びに行ってきた。

親友も面白い人なのだけれど、奥さんもとても気さくで気が遣えて素敵な人。

そんな彼らが今年結婚式を開くことになった。

二人は家に招いたことやお祝いをもらったこともあり、私たち夫婦を二人とも招待しようとしてくれたのだけれど、懸念が出てきてしまった。

旦那とその親友は中学時代の部活が一緒であるため、新郎側の招待は部活の仲間たちばかり。その中で新郎の親友の嫁という立場で参加するのは、むしろ私が気まずいのではないか?と配慮してくれたのだ。

私としてもそのシチュエーションは果てしなく気まずいし、きっと旦那もその仲間たちも気まずい思いをすると思う。けれどお祝いをもらっただけに、招待しないというのは礼儀として良くないのではないか、と特に新婦さんが私に気を配ってくれた。

本当に素敵な、そして有難い配慮であるとともに、ここまで考えるのが「大人」なのだなぁとしみじみと感じた。

結局気持ちだけ受け取って私は行かない選択をしたのだけれど、こうやって家族ぐるみで仲良くさせてもらえることがとても嬉しいのもまた事実。

「家族ぐるみ」を自分の両親を交えないかたちで実現したことも、「大人」になったのだと感じる瞬間だった。

正直20歳になったからと言って大人になったなんてあまり感じていなかったし、何なら今振り返ってみても小僧に毛が生えたくらいだったと思う。

そして今日、突然の訃報を知らされた。

先週まで一緒に働いていたチームメンバーが亡くなった。死因は急性の心筋梗塞だったとのこと。

部長から知らされ、チームメンバーが鼻をグスグスさせながら泣く中、私はあまり涙が出なかった。突然のこと過ぎて、一周回ってとても冷静になっていたのだと思う。たぶん、まだ現実を受け止め切れていない。だからこそ涙が出ないのだと思う。

人の死に直面したのは、小学生の頃に祖父が亡くなった時以来。

社会人歴5年目を迎える今、いろんな形でやっと大人を感じ始めている。

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