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当事者にならなきゃ共感なんてできない〜ガッキーの結婚の話を聞いたわたし〜



今まで芸能人が結婚した報道を聞いても、「わーおめでたいね〜」くらいにしか思っていなかった。


石原さとみだって好きだけど、同じように祝った。


だけど今回は違う。はじめての感情でどう自分の中で対処して良いかわからず、とりあえずnoteに書くことで言語化しようと思う。


今まで芸能人が結婚する話を聞くと、そのファンの人の嘆きを客観的に見てた。


同時に、まあその人の人生なんだから素直にお祝いしてあげようよ、とまで思ってしまっていた。


この気持ちを受けた今は心の底から謝りたい。



○○ロスとかを味わったことがなく、これから先も味わうことがないと思っていた私には理解できなかった。


身近な女性の友人が、女性の芸能人の結婚報道でかなりショックを受けていたのを知ったときは、「なんで同性なのに?」とも思ったくらいの偏見さ。


同性だからとか、恋愛対象が男だからとか、そんなん関係ない。
ショックだからショックなんだ。




最初にいうが、わたしは女性だし、夫もいる身で、夫が大好きだ。

だけど、そういう問題ではないのだ。


はじめての感情すぎて、どうにもならない悲しみと辛さが襲ってくるけれど、これをなんと表現しようか。


きっと、多分、相手が一般男性だったらまだ良かったのかもしれない。知らないから、想像で「ガッキーが選んだ相手なら良い人だろう」となっただろう。


でも、相手は有名な芸能人。


ガッキーの結婚は素直に嬉しく祝うべきだと頭ではわかっている。
相手がステキな人だからこそ、彼女が選んだのもわかる。


わたしが彼女の人生を背負うことができないことも、会うことがないことも、わかってる。
ファンなら祝うべきなのも、部外者がとやかく言うことではないこともわかっている。


だって全部、客観的に見てたわたしがそう思っていたから。

芸能人が結婚した報道を嘆く人をみて、どうして自分が結婚できるわけじゃない存在なのに?と思っていた。

今すぐ過去の私にビンタしたい。


どれだけ考えても、きれいな言葉は出てこなくて、嫌なものは嫌なのだ。


ショックで、イヤで、ツライ。


なんて語彙力がないのだろう。オタクだからと片付けたくはないけれど、本当につらいことがあると、語彙力なんてポンポン浮かばない。


ああ、悲しい。

どうしようもない感情。
大好きな人の素晴らしい出来事を素直に祝えない自分もイヤ。
相手の方がどれだけすごい人だとしても、悲しいものは悲しい。


「わたしの分まで幸せにしろよ」なんて、何様だよってセリフさえも言えない。思えない。


当事者になって、はじめて今まで○○ロスを味わってきた人たちの気持ちが痛いほどわかる。


推しが結婚するってこんなにもツライことなんだ。


そりゃ仕事休むよ。休みたいよ。
なにもしなくても、ふと気づいたら思ってしまう。
SNSには見たくもないのにその報道。


お願いだから、もうわかったから、呟かないで、トレンドに入らないで。

みんなそういう気持ちだったんだろうな。
これで周りからも追い討ちかけるように「結婚したね!」とか言われたらたまったもんじゃない。


相手は情報共有のつもりかもしれないけれど、こちらは聞きたくない。
お願いだから言わないで、触れないで、思い出させないで。

わたしはわざわざ連絡したことはない(と思う)けど、これから先ぜったいしない。

相手から言うのを待つ。



共感できないなら言わないで。
共感できるなら、思いっきり辛さを吐き出させて。


わたしはガッキーの追っかけでもなければ、会ったこともない、ただガッキーの出演している番組は全部見るくらいのファン。
メルマガ登録してるくらいのファン。

もっともっとわたしよりショックな人はたくさんいるだろう。


それでも、わたしの心は本当にぽっかり穴が空いたような、空虚な感情。

何もしたくないとさえ思う。

心を落ち着けながら夕食を食べた時間が1番何も考えられずに幸せでいれた。
わたしのご飯がなんてこんなに美味しいのかとさえ思いながら、幸せセロトニン分泌しながら食べた。

でもやっぱり終わるとこの空虚な気持ちは襲ってきて、どうしようもなく、今ここに書いた。


当事者じゃない限り、共感なんてありえない。

それが今回の学びだった。


客観的な共感や同情がどれだけ当事者を傷つけるか。

きっとガッキーがこのnoteを万が一でも見ることがあれば悲しむだろうな。


本当に本当にステキな報告が聞けて嬉しいしおめでたいと思うんです。
幸せになってねって心の底から思います。


でも、ただただショックなんです。
好きすぎて、感情が爆発。


これが恋でも愛でもないのはわかる。
こういう感情があること自体はじめて知ったから、これが何かはわからない。


たとえるなら、推しが死んだときの空虚感。

好きな人が誰かのものになってしまったのは、推しが死んだときと同じだと思う。


生きてるだけでありがたいのはもちろんだけど、私の中で彼女はもうわたしが想うガッキーではなくなるのかもしれない。


それでも今は変わらず好きだしこれからもたくさんメディアに出てほしい。


報道を聞いたときに、ふと堀北真希が浮かんだけれど、そんなふうにメディアから姿を消さないでほしい。


勝手な思いだけど、ガッキーを見る回数が増えれば増えるほど、たぶん、この感情は少しずつマシになっていくと思う。



まだ素直に喜べないけれど、
心の底から、ガッキーの幸せを願ってます。




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