好きなものをあげるって最大限の愛
私は多分、小さい頃からほしいものは必ず手に入れるような性格だったと思う。良くも悪くも。
給食で食べたいお惣菜やおやつはジャンケンで手に入れたり、いらないというクラスメイトを探していたりしていた。何かを半分こするときは絶対大きいほうがほしかった。
今でも半分こしたら若干大きいほう自分のものにしちゃうこともある(よくはない)。
家族でもお菓子を分けるとき、必ず私が多めになるように分けていた。
31枚入っているラングドシャを弟と母と私の3人で分ける。残った1枚は私のものに。
途中から弟に疑われて、一緒に数えることになり、余った1枚はジャンケン戦。
「3等分に分けた」という私の労力へのご褒美という名前をつけていたのに。
そんな中、苺だけは弟が嫌いで、いつもほとんど一人占めして食べられるから大好きだった。
洗わなくていいイチゴを一箱、祖母からもらったときは、弟に奪われることがないのに3日でぺろり。
今考えたら絶対高い苺だった。
そんな私だからこそ、誰かに何かを分けることって、「とてつもない大きな愛」だと思っている。
はじめてそれに気づいたのは高校生のころ。
高校生のときにお付き合いした人とピザまんを半分こしたとき、私は、生まれて初めて大きい方を彼にあげた。
はたからみたら「それくらい」のことだけれど、私にとっては「大きい愛」のカタチだった。
ピザまんが大好きな私が、大きいほうを人にあげたのだ…。
(彼が買ったピザまんだけど)
大人になったなあと思った17歳。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
あれから10年が経った。
ラングドシャを見るたびに、たまに家族で分けていたことを思い出す。
今は夫と2人で31枚をわける。
夫が大好きな私は15.5枚、きっちりわける。
私は好きなものを食べるのがとてつもなく早い。
ラングドシャも一気になくなり、夫はまだ10枚ほど残っている。
食べ終わってゴロゴロしていると、夫が2、3枚ほど自分の15.5枚の中から食べていいよ、と私にいう。
何気ない一言だけど、私にとっては「とてつもなく大きな愛」をもらっている感覚になる。そのラングドシャ2、3枚に。(最大数3枚は食べる)
ラングドシャだけではなく、とんがりコーン、ポテトチップス、ぶどう、彼はいろんなものを私に少し多めにくれる。
彼にとっては何気ない優しさだろうが、あー愛されてるなあと私は実感する。
未だに私は食後のキウイフルーツですら自分の分を少し大きめに切るのに。
でも、私も彼が大好きなので、私の中の「とてつもない大きな愛」を日々返している。
朝に飲むバナナジュースの量や、夜ご飯のおかず、サーモンが好きな彼だからサーモンを使った料理は少しだけ多めにあげる(これが一番私の中で大きいとびっきりの愛情)、ハンバーグだって大きめにつくるし、オムライスも私よりも少し多めに。
でも多分、ピザまんを食べることになったら私は大きい方をもらうだろうな。
夫にはこれから先の日々の生活で「とてつもない大きな愛」を私は与えることができるから。
あのときの彼にピザまんを大きいものをあげられてよかった。彼にはたくさんのものをもらったけれど、私たちの人生は離れてしまったから、彼は忘れてしまっているかもしれないけれど、あげられたといえるものが思い出として残っているのが少し嬉しい。
(彼の買ったピザまんだけど)
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
ここで大事なのは、ひとつの分けたものを多めにあげるということ。
私は人にプレゼントをあげるのが好きだけれど、プレゼントをあげることで相手の「喜び」をもらうことが好き。だから私も相手からもらっているのだ。
でも、ひとつのものを半分こにすることは大と小が存在する確率がとてつもなく高い。
そこで大きいものが得られたら、少し得した気分になれる。この「得」をもらっている。
そして、家族で分けるときに、自分の分を多くしていたからといって家族に愛情がない、というわけではない。
私の中で一番大事にする人が「自分」だっただけなのだ。
優先順位が自分が上だから、自分のものを多めに入れていた。
だから、私の「とてつもない大きな愛」というのは、私の中の優先順位が自分よりも大事な人ができたということ。
もちろん、今でも自分は大事だし、自分の機嫌を一番に優先することで一緒にいる人も機嫌が良くなると思っているから、何事も自分を優先する。
でも、日常の中で、大事な人ランキングの1位がたまに夫に変わるのだ。
それはきっと、夫が私以上に私を大事にしてくれるからだと思う。
前に付き合ってた彼は私と同じで一番大事な人が「自分自身」の人だったから、私の中のランキングで彼が1位になることはなかった。
でも夫は「私にとって一番大事な私」を一番に大事にしてくれるから、私の中の一番大事な人が私ではなく彼になるのだと思う。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
今日、友人に買ってもらった(←重要)チーズケーキを夫と半分こした。
少しでも平等にしたくて半分こすることが得意になった私が、間違えて少しだけ夫の方を大きくしてしまった。
あとで食べればいいか、と思っていた私の大好きなケーキの先の部分をいつの間にか彼が食べていた。
半分こしたのは私なんだけれど、あとで食べればいいか、と思ってしまっていたから少しショックを受けた。
でも彼は、最後に少しだけ残して「食べる?」ってチーズケーキをあげようとしてくれるのだ。
ああ、なんてとてつもない大きな愛を無条件でくれるんだろう…。(くれるのは愛ではなくチーズケーキ)
だから私は「とてつもない大きな愛」を返したくて、断った。
まあ、彼が食べてるケーキを断っただけで私はほんの少しだけ大きめに切ったチーズケーキを譲ったってだけだけど、私にとってのこの「断り」は「とてつもなく大きな愛」なのだ。
結婚した理由を聞かれたら、理由のひとつとして
「自分が好きなものでもあげたいと思える人だったから」
と答えるようにしよう。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?