本当は今日が結婚式の予定だった
コロナウイルスの影響で、4月1日というギリギリの日に延期を決断した。
それまでかなり時間を費やし、しんどい思いをした。
令和2年4月24日16時半から、式がはじまる予定だった。
もうこの日は2度と来ないので、延期を決断するまでのことを記録しておきたい。
結婚式場を決めるまで半年以上かかった。
結婚式場を探しはじめたのは去年の3月から4月。お互い平成生まれだからと、最後の平成で語呂の良い平成31年3月1日に入籍して、探しはじめた。
5〜6件見に行って、どうしてもプランナーさんが好きになれなかったり、会場がピンと来なかったりして、結婚式自体やめたほうがいいのでは?とも考えた。
200万以上もお金がかかるなら2人で旅行代に使ったほうがいいじゃんって思った。
そんなとき、知り合いの紹介でフリーのウェディングプランナーさんを紹介してもらった。
その人の考え方を聞いて、結婚式をしようかなっで考えに変わった。
2人がこれから歩んだ人生でお世話になった人たちへの感謝を伝え、これから歩む人生で関わる人たちへ「これからもよろしくお願いします」とお互いの大切な人にお互いを紹介し、知ってもらう。
たしかに、彼は家族に今まで大事に育ててもらって、関わってきた友人や会社の方たちのおかげで今の彼があり、出会えた。
そんな人たちに感謝を私からも伝えたいし、これからも一緒に関わっていきたい。
そして逆も然り。
私も大事に育てられ、いろんな人たちに支えられて、今がある。
その人たちのおかげで出会えた縁でもある。
感謝を伝えたい。
そして、これから人生を共に歩む人をみんなに紹介したいし、彼を好きになってもらいたい。
その方のおかげで考え方が変わった。
その人にお願いしなかったのは、兵庫から大阪へ打ち合わせに行かなければならないことや、遠方費用を払うことになることもあり、時間とお金を考えて、そのプランナーさんにはお願いするのをやめた。
これから探す式場で、どうしても納得できる人と会えなかったらお願いしようと思った。
それから5ヶ月後。
さすがに結婚式場へたくさん行きすぎてしんどくなってしまい、その年の9月からまた探しはじめた。
8月末に2人で関西版ゼクシィを買い、3つ候補を出しあった。
私と彼は3つとも異なる会場。彼の候補の中の2つはもう見に行った会場だったので、4つの候補からブライダルフェアの予約をした。
何度も式場をまわったので、必ず当日割引があることを知っていた。
だから、優先順位の高い会場を後半に回し、2週間にわたって予定を入れた。土曜に2つずつ。
まさか、1つ目の会場で即決することになるとは思わなかった…。
式場を決めた理由
いろんなところをまわって感じたのは、「かなり時間を費やされる」こと。
1番長いところは朝の9時から夕方の16時まで。
2、3回値引きで待たされた。
その日には決められないって言ったのに。
今考えれば、ここがいい!と思えるところは即決できるものだった。決めた会場がそうだったから。
だからこそ、最初から時間厳守、そしてスタッフを重視することは伝えていた。
(後者はどこの会場でもずーっと伝えていたけれど)
夫の選んだ会場だった。私は神戸で挙げるなら海が見えるところがいいと選んでいて、その会場は見れなかったから。
でも平日なら一棟まるごと貸切ができるゲストハウス型会場。
有名な建築家がデザインした場所なので、とてもキレイで素敵だった。
案内してくださった方は小島さん。
この人が案内してくださったからこそ、即決できたと言っても過言ではない。
質問したことは全て答えてくださり、対応もとても丁寧で、サービススタッフの方やシェフの方も紹介してくださり、時間もきっちりお昼までに案内を終えていた。
この人に、というのもあるが、サービススタッフやシェフの方の想いも聞けて、この人たちにお願いしたいと思った。
その後行く予定だった会場はすぐにキャンセルして、その場で契約を決めた。
やっと、やっと、1つやるべきことが終わった。半年以上かかったので、安心した気持ちが大きかった。
契約後の予算が上回り、式場変更を考えた
12月から1回目の打ち合わせがはじまるとのことで、それまではドレス選びにまわった。
ドレスが1番選ぶのが大変と聞いていたので、契約時に不安を伝えたが、たくさん提携店があるとのことより大丈夫かなと思った。
持込料は7万円ほどと聞いていた。
でも、紹介してくださったのは3店舗で、見積りの金額のドレスなんて全く案内されず、ウェディング ドレスとカラードレスで予算から20万円以上はオーバーした。
その上に、気にいるデザインがほとんどなかった。
オーダードレスの持込みを検討したら、割引の条件から外れるとのことより1着あたり14万円の持込料金がかかると。
さすがに2着だと28万円もプラスされる。それはあまりにも高過ぎる。
見積りからこんなにもドレスが高くなるとは思わなかった。
そんなの結婚初心者じゃわからない。
だって平均がわからないのだもの。
いろいろ交渉して、何とか少しだけ持込料を下げてもらい、カラードレスだけ持ち込んだ。多分、それでも小島さんはかなり頑張ってくれたと思う。
ウェディングドレスは見積りにあう店舗を紹介してくださり、スタッフの方が私の好みにあうものを提案してくださり、遅くまで親身に寄り添ってくださり、とても良い人だったので、オーダードレスとぎりぎりまで迷ったけれど、人で選んだ。
接客業をずっとしていたから、どうしても決め手は人になる。
式場もかなり悩んだのに、まさかここでもかなり時間を費やすとは思わなかった。
実はこのドレスが決まるまでの間、式場を変えようかと考えていた。
理由は、ドレスでさえ予算オーバーするのだから、今後これ以上お金が膨れ上がると生活できなくなるからだ。
予算におさまるようにウェディングレストランの会場を見に行った。
対応してくださったスタッフの方が酷すぎて、すぐにやめた。やっぱり、値段相応なんだなと割り切れた。
会場もあまり好きなところではなくて、案内してくださった方はマネージャー職の偉い方だったのだけれど、私たちがやりたいことを伝えるとやんわりとほぼ否定され、しまいには席を外して帰ってきたら、かなりかなりタバコ臭かった。
嫌煙家の私たちにはしんどい時間だったし、接客業をする人としてありえないと思った。
そんな人に私の大切な人たちを会わせたくないと。
だから、予算からはかなりオーバーしたけれど、やっぱりたくさんの会場をまわった中から即決できた会場でいこうと決意した。
素晴らしいスタッフの方たちにお金を払おうと。
打ち合わせがはじまり、担当のプランナーさんが決まった
私たちの担当は池田さんという方だった。
最初は案内してくださった小島さんかなと思ったのだけれど、プランナーさんは別らしい。
ただ、小島さんを信用していたので、その方が選んだ方なら大丈夫だろうと信じていた。
結果、最高のプランナーさんだった。
とても可愛くて柔らかく笑い、私たちのイレギュラーのようなやりたいことを真剣に一緒に考えてくれる素敵な人。
打ち合わせが進むにつれ、どんどんアイディアも湧いてきて、今までにないような、私たちらしい結婚式がどんとん出来上がってきているのがわかった。
少しずつウェルカムスペースやロビーに飾る小物を増やし、BGMですらかなりの数の曲を聴き、私たちらしいものを2人で探した。
招待状もwebでつくりたかったので、私がデザインし、彼がシステムをつくり、時間をかけてつくった。
ペーパーアイテムもかなりかなりこだわりのものをつくった。デザインは全てわたしが。
毎日毎日結婚式のことを考えて、できることは全部やった。
今まで見たことないような結婚式になるだろうな、ゲストの方が喜んでくれるだろうなとワクワクしながら、でも時間に焦りながら、丁寧に用意した。
途中何回か夫とケンカもしたけれど、2人で一緒に作り上げてきた。
延期を決めるまでがしんどかった
3月28日が最後の打ち合わせの日だった。
コロナに対して不安を持ちながらも、その時はあまり知識がなかったので、4月には終わってくれ、お願いと強く思いながら進めていた。
次はもう式の前日に小物を持って行き、セッティングするだけ。
担当の池田さんにも延期にした人がいるのか聞くと、半々くらいだと言っていた。
した人もいるし、しない人もいると。
日にちの変更は14日前までならできることを再確認し、その日は不安のまま帰宅した。
3月30日。この日にプロのカメラマンの方に写真を撮ってもらった。
朝一に眠いながらも撮影地へ行き、結婚式場に飾るキレイな写真を撮ってもらいたくて、お願いしていた。
コンセプト通りで、そしてカメラマンの千夏さんがいろんなアイディアを出して撮影してくださったので、表情の硬い夫も、自然に笑ったステキな写真が出来上がった。
この日はもう予約して決めていたから写真は撮影したけれど、内心はずっと、ずっと、延期にするかどうかを考えていた。大阪に行くのも怖かった。
撮影中にスマホをお互いが見ているポーズがあって、その時に、ラインニュースを見てしまった。
志村けんさんが亡くなったとの速報だった。
その日の夜、延期にするかしないかを悩みすぎて、夫の前で大泣きした。
海外の情報や、イギリスに住む友人の話を聞いていると、延期は絶対したほうがいいと思った。
でも、延期したとしていつまで延期すればいいの?
私がどうしても結婚式に来てほしい愛媛にいる祖母は、3年前にうつ病になって以来、とても調子が悪い。
2019年12月に脳梗塞の疑いで入院したくらい。
どんどん弱りゆく祖母が来年にはどうなっているのかわからなくて、延期することが怖かった。
でも、体調が悪くて会場に来れるかもわからなくて、もし来れたとしてもコロナにかかってしまったら持病のある祖母は絶対に助からない。
私が祖母を殺すかもしれない。
どの選択が正しいのかわからなくて、でも延期した方がいいだろうという考えが離れなくて、感情が止められなくて涙が止まらなかった。
鼻水もジュルジュル出るから、何枚ティッシュ使ったのかわからないくらい泣いた。
決めたくなくて、夫に丸投げもした。
「もう、決めてよ」
彼は「どうしたらいいんだろうね」と私を慰めながら、曖昧な答えを出した。
彼もまた、決められなかったのだろう。
4月1日。
ああもうダメだ。どんどん感染者は増える。もう決断しないといけない。答えはひとつなのになかなか踏み出せない。
そんな中、午前中に愛媛の祖父から電話があった。
実は、祖父からの電話ははじめてだった。
だから、怖かった。祖母に何かあったのではないかと。
電話の内容は結婚式にはいけないとのことだった。
3月いっぱいは祖母の様子をみようと思っていたけれど、やっぱり体調が戻らないし、コロナの影響も怖いから、申し訳ないし、どうしても行きたいけれど、欠席にしてほしいと。
私は、この時、安心してしまった。
本当はこんなこと祖父の口から言う前に私が決めなければならなかったのだけど、ようやく決断ができた。
やっと、延期を決意できると。
それからは祖母の体調を1番把握している叔父にも連絡して、延期は秋がいいのか来年でも祖母は大丈夫なのかを確認し、来年なら体調も良くなるかもしれないからとのことで、来年に決めた。
まだ寒さが続くせいで祖母は未だに体調が悪くて心配だけれど、こまめに連絡をしてなんとか元気でいつづけてもらうようにしている。
担当の池田さんの休みの日だったのでメールで連絡して、遠方から来る予定の方だけ延期にすることを伝えた。
よりにもよってエイプリルフールの日なので、念入りに説明した。
次の日に池田さんから連絡があり、決定したので、全員に伝えた。
短いようで、とても長かった。
決断するまでがしんどかったので、気持ちはすごく軽くなった。
延期したことで、キャンセル料はかからなかった。
ただ、司会者は変わるかもしれないので、その場合打ち合わせをもう一度するなら1万円。
ヘアセットも変えるなら再リハーサル1〜2万円。
祖父母用の紙の招待状を作っていたのでその制作時間と費用。
それくらいだった。
遠方から来られる方もホテルや交通費のキャンセル料はないとのことだった。
私たちも予約していたホテルはキャンセル料はなかった。
1番大きいデメリットとしては、延期したことで担当の方は変わる可能性があるとのこと。
そして、カラードレスがオーダーなので、体型維持をしないといけないこと。
子どもは1年間は産めないこと。(絶対に大変になるしお金もかかることだから)
人生プランは大幅に変わってしまった。
今日結婚式を挙げるつもりでお互い転職を考え、夫には今月有給消化をしてもらい、引越しもしたのだ。
来年はこんなに時間も取れないだろうから、今から1年間かけて考えて、もっともっと最高の式になるようにするつもりだ。
ただ、私たちが今日のために計画していたことが最高すぎて、これを超えるアイディアがまだ浮かばないのだが…。
結婚式の予定だった日に思うこと
やっぱり現状を考えると延期を決めたことは英断だったと思う。
私たちは延期を決めてから引越し以外でほぼ外に出ず、自宅待機を徹底していた。
外出する時はマスクにメガネに手袋という完全装備で車で外に出る。
日に日に入る情報を聞くと、他県に出るなんて言語道断なところもあるし、遠方からの方は北海道、東京、愛知、感染者が多いところからも多数だった。
そんな人たちを危険に晒さなくてほっとしている。
でもやっぱり、今日という日は特別だったので、こんなふうに長い文章を書くほど想いにふける。
時間をかけたし、思いも強かったからこそ、余計に。
平成31年3月1日に入籍し、令和2年4月24日に結婚式を挙げるを
3131、2424、なんて語呂のいい日だと思った。
天気はいいし、今日は大安だ。
金曜日に決めたのは、遠方から呼ぶ方が多かったので少しでもホテルや交通費を安くするためと(多いので各自負担でお願いしていたから)、そのまま土日休みなら神戸を観光してもらえるかなとも思ったから。
結婚式の予定は金曜日がいいので、令和3年4月23日に変わってしまったけれど、きっと特別に日になるだろう。
もちろん令和3年1月31日も少しは考えたが、寒いのが私も祖母も苦手なので、一瞬しか考えずに終わった。
気持ちを言葉にすると、少しスッキリした。
私たちは、今日までにたくさん時間もお金もかけて準備した。それは変わらない。
延期の決断に悔いはないし、1年間も準備期間が増えたとプラスに考えて、今から何をしようか考えている。
誰か案があれば教えてもらいたい。
1年後には、「延期にしてよかった最高の結婚式」というタイトルで、新しい想いを綴れますように。
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