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③シンガポールで!!エイっとやる護身術はきかなかった!

Helloハロ♪ともまるです♪
自己紹介のSEASON3ともまるが「保健室のせんせい」になるまでのお話♪
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鳥カゴの中ような「否定・ヒテイ・HITEI」の実家を計画的に飛び出して
生きてる〜!!と初めて実感した一人暮らしの大学生活

いきなり自由になった私は
糸の切れた凧さんのように楽しみまくっていました・・・W
気づいたら3年生・・・
社会福祉士になるための学部にいた私。
みなさんご存知のように、その大学を受けた動機は
「家から逃げたい。否定されない空間で息をしたい。」

就職活動を目の前にして、気づいたんです・・・。やっと。
遅いよねぇ・・・今の大学生を見ていたら本当に自分を反省しますね・・・

「これをしたい!!」ってものがない!
けれど社会福祉士のお仕事はしたいことではない。。。

そんな私は、アルバイトを4個掛け持ちして、お金を貯めて
旅に出ました。


そうです。ありがちですが、「自分探しの旅」へ♪

誰からも反対されたくなかった私は
彼氏にも、家族にも話さず、飛行機のチケットと、外見で決めたホテルをネット予約♪(この頃はSNSもmixiが始まったばかりで情報はほとんどなく、直感)
そして、前日に日本を出ることを告げて・・・GO♪♪

さぁ!!ワクワクしかない私に怖いものはなかったので
直感の赴くままに行きました♪

「シンガポール」♪
記念碑の前で突然に男の人に抱きつかれて
口を押さえられて、裏路地にひきづられました・・・。
よく見ると、その人はAV雑誌を路上販売していたおじさんでした。。。
これはピンチ!!!中学時代に警察さんが教えてくれた護身術のポーズ
(なんか、肘でエイッって後ろに突き刺すポーズをしてみましたが・・・全然効きませんでした。)シンガポールでは通用しないのか?!と焦っていたら・・・

ジョギングしていたおじさま登場!!
現地のジョギングおじさまに助けられて
片言の英語でおじさまにお礼を言うと、おじさま
そのまま付いてくるじゃあありませんか♪

そしてもう、気づいたらボディーガード化した
そのおじさまが3日間もの間
シンガポールのありとあらゆる場所を案内してもらいました♪
シンガポールの歴史や、現地の人のリアルな生活、向上心の源を教えていただきました♪

「タイランド」
シンガポールで「人はやっぱりあったかいんだなぁ。」とほっこりした私は
タイをのびのび歩いていたんですが・・・
気づいたら、なんだか怪しい薄暗さ・・・
通ってはいけないであろう道 に迷い込んで・・・
「あれ?こっれってヤバイ感じじゃない?」と直感で気づいたそのとき!!

ガバッとリュックを掴まれました!!!!
振り返ったらびっくり!!

綺麗な美女♪

その美女は、私の腕を持って、明るい通りに連れ戻してくれました♪
助けてくれた美女にお礼を言うと
素敵な笑顔で「イイヨ」と言ってくれたのですが・・・
彼女の声を聞いてこれまたびっくり!!

声はおじさまでした♪
男性でもこんなに綺麗になれるのに
私は「女」をサボっているなぁと気づけた瞬間でした♪

そして最後に行ったのが
ベトナムの「フエ」

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ここが私のターニングポイントです♪

ベトナムの都市部から小さなプロペラ機に乗って
騒音と揺れで「生きて帰れたらラッキーだな♪」くらいの覚悟をしてから
到着したフエの村

静かな農村
田んぼが溢れる懐かしい村の中にある大きな白い建物
それが「子どもの家」でした。

ボランテイアをしたい!!と思って行った私は
その半日後にこのチープな考えをゴーンと打ち消されたのでした。

4人1部屋に住む子供たち
その子どもたちは積極的に私にベトナム語を教えてくれました。
遊び方も教えてくれました。
食事の時間になると。誰に言われたわけでもないのに
それぞれが自主的に食器を配り、ピーラーで皮をむき、炒めて、配膳、
ものすごくスピーディーに食事が出来上がり、
導かれるまま椅子に座って、いただきます!!

「自分のことは、自分でするのが当たり前」
「自分の身は自分で守るのが当たり前」

そんなスタイルが幼い子から染み込んでいるようでした。

食後は「日本語を教えて!」「絵を描くのを見て!」「英語を聞いて!」
これまた自主的に学習タイム!!

子供たちの自主性と、学ぶ意欲と、「個」として自分に自信を持っている姿!
「瞳の輝き」という表現がありますが、輝きというよりも、まっすぐに未来に進むレーザーが出ているかのような瞳でした。
「私は医者になるから、これを勉強してるんだ!!」
「僕は日本語の先生になりたいから、日本語を教えて!」
がむしゃらに進む少年少女であふれていました。

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「この子たち、ストリートチルドレンだったんです。
親に捨てられたり、家計のために体を売ったりするしかない状況にいた子たちです。」
その話を後から聞いて、私はもう、言葉が思い浮かびませんでした。
頭がガーンとなりました。


親に捨てられた過去なんて、体を売るしかなかった過去なんて
まっすぐな瞳のどこにも見つかりませんでした。
そこにあるのは、強い意志と、未来へ進む姿だけでした。

家庭環境が辛くて、逃げ脱してきて、大学生活を楽しみすぎて
就職活動がよくわからずに海外逃亡をしている私・・・・
そんな私が子どもたちのためにボランティアをしにきた???

もう自分が恥ずかしくて、情けなくて、自分の小ささが砂つぶのように感じたショッキングな現実。
ボランティアなんて言葉を一生使うのはやめよう!と決めた瞬間でもあります。

自分の小ささに気づき、自分の弱さを感じ、子どもたちの瞳を見て
決めたんです!!
日本にも、こんな子どもたちを増やそう♪と。

自分の傷やトラウマを強みにして
自分らしく歩む子どもたちを増やすお手伝いができる仕事・・・
保健室の先生になろうと♪

社会福祉の学部にいた私は、帰国後すぐに、保健室の先生の資格が取れる大学を探しました。
そして見つかったのが、新設したばかりの大学。
3回生が終わりに近づいていたので、あと1年で卒業。でしたが!
その1年を待たずに編入学で2つ目の大学に入りました♪

単位数も持ったまま編入ができたので「2年間で卒業できますよ」という説明を受けて、スイスイ単位を取って行った私。
全部の授業を好成績でパスして、残るは教育実習だけ♪


それが・・・・・・予想外のトラブル!!

他の編入学の子たちは短大からの編入。私だけ4大からの編入。
「新設したばかりの大学なので、4大からの編入に対応できていません。後1年後にしか実習に行けません。後1年、ここに残りなさい。」だと???

いやいや。入学時に確認したよ?後二年で卒業できるって言ったよね?
おばあちゃんが残してくれた遺産で2年分を払ったんよ?
後1年とか急に言われても、そんな・・・私の人生、どうなるん!?



大学事情(文科省からまだ許可が下りていないからとかで・・・)で実習に行けないから、教員免許を1年延期にされました・・・

教育実習のために、その1つの単位だけのために大学に残らざるを得なかった私は
とりあえず、凹みました・・・全てを反対されていた親にも「ほらな!」と言われ・・・うまく進んでいた人生プランが突然に打ち砕かれ・・・
ストレスフル状態が続きすぎて、パニック障害になりました・・・

けれど、めげなかった!
「ストレス?うつ?パニック発作?」これって保健室の先生になった時に
子どもの対応に役立つ事例ばっかりやん♪
自分で体感できてるんだから、これを乗り越えたら、アドバイスできるやん♩

と・・・
やっぱりピンチを吸収して、エネルギーに変えて行ったのでした♩

そして晴れて
保健室の先生として採用される日がやってくるのです♩
(この間に「塾経営とヤクザのサンドイッチ」というエピソードがありますが、今回は省略させていただきます♩



本気で出版をします!!そのための貯金にします♩出版した時には、帯を書いてくれませんか??