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2度目の歯医者は私を幼児にする

 17年ぶりの歯医者に行った。
「日々の歯磨きを頑張ってください。治療は一緒にしていくものです。」
 そんな風に言われた私は次の治療までの2週間、歯磨きに命を燃やした。これは単に治療のためではない。褒められるためだ。行けば必ず「あ〜、結構サボっちゃいましたぁ?」と嫌味に責めてくる(という偏見の)歯医者をギャフンと言わせたい。私はその一心で歯を磨きに磨き続けたのだ。

 そして、先日いよいよその成果を発表するときが来た。
「口を開けてください。」
 さあ、来い。私は歯医者の教え通り、1本の歯を30回ずつ、表面、裏面、上下方向と毎日愚直に磨いてきたのだ。何も文句は言わせないぞ。
「頑張りましたね。歯茎の腫れが引いてますよ。」
 やった!やったぞ!ああ、人にこんなに褒められたのは一体いつぶりだろうか。思い出そうとしても中々思い浮かばない。思い返せば毎日毎日怒られてばかりの人生だ。褒められたのは中1のときに”音読の速さがとても丁度良い”と言われた時以来か。胸にこみ上げてくるものを必死に抑える。いくら治療中は目隠ししているとはいえ、ここで急に泣き出したら大の大人が歯医者が怖くて泣いてるみたいで情けなさすぎる。情けないのは人生だけで十分だ。歯医者でくらい胸を張っていたい。

 そんな私を尻目に、先生は私の口中を鏡を使って様々な角度から見回す。ああ、人にこんなに注目されることなんて今まであっただろうか。またもや込み上がってくるものを察知した私はすぐに考えるのをやめた。私は口をぽかんと開けるだけの置物と化す。

 置物の歯の診察は続く。
「右の奥歯の裏に、少しだけ磨き残しがありますね。」
 先生はそう言うと、黄色い歯ブラシで私の歯を磨き始めた。傷つけないよう優しいタッチで毛先が私の歯茎を刺激する。
 ……なんだこの変な気持ちは。エロい?否、そんな邪な気持ちではない。これは、そう、バブみだ。他人に歯を磨かれるなんて体験は幼少時以来。歯を磨かれるとあの頃の感覚が甦り、そして私の心は幼稚園児まで成り下がる。齢33、180cmで100kgを超える体躯はすでにそこにはなく、存在するのはあの頃のぽっちゃりで可愛い私なのだ。さあ、愛でるが良い!

 そう思うや否や、キィーンという耳をつんざく音と共に歯石除去が始まり、醜いたるんだ身体を取り戻した。ああ、現実とはなんて残酷なのだろうか。再び涙をこらえながら、その日の治療は終わった。
 私の歯は様々な思いを巻き起こしながら少しずつ元気を取り戻してきている。また来週に控えた診察でも褒められるように、私のテッテ的な歯磨きは続く。

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