広瀬喜六

美大の理論科で美学・美術史学を勉強中。灯篭と茶室茶庭を中心に東洋文化史について考えられ…

広瀬喜六

美大の理論科で美学・美術史学を勉強中。灯篭と茶室茶庭を中心に東洋文化史について考えられないか試行している。もともと美術から哲学、文学まで大体興味があって概説書を読むのが趣味。 『月報街歩き』始めました。

最近の記事

赤瀬川原平におけるトマソンの概念とその変遷

 トマソンとは何だろうか。この問いに明確に回答することは実は難しい。赤瀬川の中でいくつかの段階があったからで、本人の中でもトマソンの在り方が大きく変化していた。今回はトマソンの定義について超芸術期を三つの時期に区分して考える。  超芸術期は赤瀬川の活動をその性質から四つの時期に区分する考え方によるもので、若き日の芸術期、ネオダダ・ハイレッドセンターなどの反芸術期を経て考現学・トマソンの超芸術期、1990年代から亡くなるまでの再芸術期が提示されている。  超芸術期は1972年の

    • 【小説】物語は始まらない。

       一瓶の酒瓶から始まる物語があってもいい。花器一つから始まる物語があってもいい。醤油さし一つだって物語を始めるにふさわしくないということはない。しかし、物語は始まらない。最近は醤油さしはあまり使わないかもしれないし、酒瓶よりはアルミ缶の方が多いかもしれない。花器のある家はもはやすくないかもしれない。しかしだからと言ってそこが物語にふさわしくないということはない。アルミ缶一つから始まる物語も、真空パックの醤油容器から始まる物語もあってしかるべきだ。  しかし、物語は始まらない。

      • 【小説】徧插茱萸少一人

         刀水というのは利根川のことだ。坂東太郎ともいうけれどしかし刀水とするのがなんだか響きがいい。刀水というのをはじめに見たのは小堀の寺で刀水漁長碑というのだけれど、それ以外では出版社にしかみない。堤のところに出るとゴルフ場が広がっているのが見えた。  盆がきたけれどこの辺りの新興住宅街の住人は特に大挙して居らないようになるということはない。夏休みの孫を迎える老夫婦がほとんどで、もはや郷里に帰るものはほとんどないからだ。わずかに若者たちが郷里に帰るというのもあるが、大多数は街に残

        • 非因采画来

          【小説】非因采画来 広瀬喜六  刀水の畔に茂った萱も秋風とともに白くなった。戸田井を回って小貝川から新利根川に抜けると、艀が並んで行き交うのがやっとだろうかと思われるくらいの川幅になる。この辺りに来ると台地もずいぶんと遠くなって、谷戸なんかがあるのも川からずいぶんと遠くのところになる。  新利根川はそのくらいの川幅はあるのだけれど艀が通るのもままならない深さで、実際は用水となっている。新利根の流れはどちらに向かっているのかだろう。あまりにすとんとしたその流路はそれが人造のも

        赤瀬川原平におけるトマソンの概念とその変遷