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生きづらさの正体

一周回ってやっと気づいたことがある。
人生は自分のためにあるわけで、”誰かのために”から生じる行動は時間の無駄でしかなかったということだ。

誰かを喜ばせようと思って関わる人すべてに良い顔をしていた時期。
誰かに必要とされたくて自分を犠牲にしていた。
誰でもいいから私をこの地獄から救ってくれないだろうかと何度も何度も心の中で唱えていたけど誰にも届かなかった。

人の温もりを感じたいけど今の私と一緒にいてもつまらないと思われるだけ。
どうしたら一緒にいて楽しいと思ってもらえるだろう。
どうしたら興味を持ってもらえるだろう。
いつもいつもご機嫌を伺ってばかりだった。
相手の言うことは絶対に否定しなかったし、常に笑顔でいることを心がけていたし、根暗のくせに無理やり明るく振舞った。
初めての出会いの時はなんとかうまく間を持たせられるけど、2回目3回目と会っていくうちにどんどん繕えなくなっていく。
どうして楽しい時間を過ごせないんだろう。
私のために時間を作って会ってくれているのになんでこんなに気まずい時間を作り出してしまうんだろう。
違うんだよ、こんな時間にしたかったわけじゃないんだよ。
心の中で何度も謝ってる。
明るくしたいはずなのに楽しい話題を提供できない自分が情けない。

それもこれも全ての原因は、判断を相手に委ねていたからである。
話題の提供からその場の雰囲気の方向性、何をするかどこに行くかどんな反応をするかまで、全て相手に合わせていたのだ。
そうなると、相手が提供してくれなかったら自分からは何も生み出せないわけだ。
考えることを放棄していた報いである。

つまりは、他人に合わせていると自分で考える機会が失われ、だんだんと自分で考えることが面倒になり、どんどん空っぽな人間になっていく、、、。

なので、今後すべきこととしては、自分の欲求に従った行動を増やしてみることだ。
今まで自分の考えや感情をないがしろにしてきたわけなので、そもそも欲求を感じ取ることが難しいかもしれない。
それでも向き合うのだ。
苦しくてもストレスを感じたとしても逃げずに向き合うのだ。

とても苦しい期間が続く。やめたくなる。
やっぱり他人の奴隷でいいやと引き戻されることがほとんどだ。
思考停止が楽だと感じてしまう体になってしまったのだ。
自分を導いてくれるご主人様をすぐに探し始めてしまうのだ。

それでも何度でも戻ってくればいい。
いつだってやり直せる。
目をそらさなければ常に自分はここにいるのだ。
向き合うと決心する。
逃げないと心に誓う。
今まで無視してきてごめんねと謝るのだ。
全神経を集中させて湧き上がる感情に耳を傾ける。

あれ、私、ちゃんと自分の考えあるじゃん。
あるときふっとそう気づく。
この行動をしようとした直前にその根拠となる考えが頭に浮かんでるじゃん。
無意識ではちゃんと考えていたんだ。

それに気づくだけで一瞬で自由になれる。
無意識の感情に気づくだけでこんなにも自己コントロール感が生まれるのか。
自分の概念が覆された瞬間。
嬉しい。ふわふわする。疲れやストレスやなんやかんやが一気に吹っ飛ぶ。

自己中とはちょっと違うと思っている。
自分の欲求を無視せずに従う。
他人からの承認欲求からも解放された状態。
誰からも支配されない。誰のことも束縛しない。

心に余白が生まれた瞬間。

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