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頑張る≒我慢すると思ってた話

今となっては頑張るというのは
目的のために工夫しながら前に進むこと
って思えるけど

ちょっと前までは
頑張るは我慢すると似てたな〜と思います。

だから、人にも
「頑張ってね」ってのは言いにくかったし

自分もさ
我慢のすることが減ってくると
それはいいことなのに
我慢してないっていうのが
「頑張っていない感」ということに思えて
この状態は悪いことって無意識に思ってた。

我慢したいわけじゃなくて
頑張っていないことに罪悪感を抱いて
わざわざめんどくさいことに足を突っ込んだり
我慢しなきゃいけない状態をわざわざ選んだり
自分で自分の首をある程度しめていないと
不安だったのかなぁ〜
文字にすると怖い(笑)


これってわたしには頑張りたいものがなかったから
なんじゃないのかなぁって
お風呂に入りながら思いました♨️

でも頑張っている人は素敵だなぁと思うし
自分もそういうのに憧れる。
ちゃんと頑張っている人は
側から見たら大変そうなこともこなす努力をしている。
そういうのを見た時に
「あ!頑張るって無理する・我慢するってことか!」と
その人の表面上を切り取って
我慢=頑張っている
っていう認識になってしまったのかなぁ〜

ちゃんと頑張っている人ってのは
その我慢だったり無理だったりの先に
しっかりとした目的があるんだよな。
だから側から見たら我慢や無理ということも
我慢や無理と捉えてないんだろうなぁ。


わたしは目的もなくただ我慢しておけば
頑張ると同等の効果が得られると思ってたけど
目的のない頑張るは
マイナスでしかないと
ここ最近やっと気がつきました。

頑張るが大事なんじゃなくて
目的を持つが大事。
わたしが素敵と思ってた人は
この目的がしっかりしてるから
頑張る姿ってのが輝いているように見えたのかもね。

この目的をしっかり持つってのが
人生を楽しくさせる秘訣なんだろうな〜

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