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善か悪かで判断したくて自分を悪者にしたくないわたしの話



何か自分が関与したことを指摘されると
これは誰が悪いのか
と考えてしまう癖がまだある。

悪いとか良いとかじゃなくて
誰とかでもなくて

その事象がまた起こらないようにすればいいだけのこと
なんだけど
どうしても誰が悪いか
そしてその悪いのってわたしじゃないよね?
って確認したくなっちゃう。
それは何も生まないのにね。


こうしたらよかった?
こうしなきゃいけなかったんじゃない?
って
過去の選択ばかりピックアップして
あー、なんでこの選択したんだろ
って後悔する。

その後悔しているところに
わたしが悪いと認めることで
また傷が深くなる。


そうやって傷つくのがいやだから
傷つきそうな行動をしなくなる…

ってのがわたしのパターン。
思い切りは良いが
ちょっと傷つくとすぐ引きこもる。笑




善悪で判断する癖は
どの感情が出てきてその選択をしたのか
ってところを考えるのにしようねってのを
EsLabで学んだので
一度落ち込んだものの
ちゃんと考えられるようになった。


わたしが悪いになりたくないのは
わたしとその出来事が一緒になっちゃってるんだよね。
事象を指摘される=わたし自身を指摘されている
に自動変換されてしまう癖がある。

良いことはこの自動変換がないのに
悪いことだけこの自動変換は働く。


ちょっとずつ楽しく生きる選択を取れるようになってきている
っていう自覚はある。
でもこうやって伸び代を確認できることもある。笑

苦手なことが出てきた時に
どうやって捉えられるか

わたしは自分にとって悪と思う感情は
出てくるたびに隠したりないことにしたりしてたけど
もうそれはしなくなった。
まだ仲良くはなれないけど
隣に座ってお互い前を向きながら
お茶を飲むくらいはできた気がした。

こんどはクッキーくらいだしてみるかな🍪

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