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型に当てはまると安心する話

世の中には自分の内面を大枠で分類して名前をつけて
〇〇型、〇〇タイプとくくられるものが
たくさんある。



HSPってのが出てきた時
あ、これわたしのことじゃんって思って
妹に話そうとしたんだけど、
その三つのアルファベットすら覚えられなくて
(忘れんぼうなのか、さほど興味ないのか)

「英語みっつ並んでんだよ、なんだっけかな?」
って言ったあとに妹が
「TOMじゃない?」って言ってきて

その時は
真面目に一緒に見つけてよ、って思ったけど
今思えば
TOMでいいんだわって思う。


何か既存の型に自分をはめようと思うと
その型に自分が引っ張られて
フィットするというよりも
こちらからフィットしにいってるかんじがする。

わりと当てはまるけど
ここは共感しないわ
みたいなものにも
あー、わたしはこういう時にこう思わなきゃいけないのかも
みたいな
わたしの正解がここにあったみたいな。


正解を外へ求めがちな人は
これにまんまとはまる気がする。
わたしはこれだった。



そしてまた
「ありのままをみとめてあげましょう」
っていう言葉の表面だけをうけとり
これは性格なんだもん、しょうがない
という諦めのもと

その型にはまるような
わざわざ不幸に足をつっこむようなことを選択していた。


型はないんだよね。
でも自分に自信が持てなかったり
周りの目が気になると
どうしても型にはまりたくなる。
はまっていた方が安全だと思っちゃう。

その型がアイデンティティみたいになっちゃうのは
ちょっとつまらないよね。



わたしと同じ人はいない。
同じ親から生まれた妹だって違う。
どんな性質があろうと
どんな選択をしがちだろうと
わたしはTOMでいいんだわ〜と


過去の日記を見て思いました。


でも忘れんぼうは直したい。
まずやることを目で見えるように、
わたしの性質とは
そういう工夫をしながら
お付き合いしていくのがTOMの特性って
ことにしたいからがんばろーっと♨️

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