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#3 右上のリズム練習の秘密 ~"指セット"を読み解く~

執筆:村松 海渡

こんにちは、村松海渡です。最近はだんだんと街や景色が青々として来たように思っています。

前回は金子先生がよく口にされていた「誘い込む」という言葉が"指セット"にも登場するというお話を、わざ言語という人文学的な研究と一人の弟子としての個人的な感覚とを交えてご紹介しました。

今回は"指セット"に登場するもう一つのトピック、金子先生ならではの「リズム練習(連打練習)」についてご紹介したいと思います。このトピックは自分が門下生として3年ほど前に行った研究を元に構成しています。


"指セット"の中のリズム練習(連打練習)


"指セット"をご覧いただくと、ページの右上に「リズム練習」と書かれた、メインの練習課題のアレンジのようなものがあります。

右上にある練習方法のアレンジバージョン。赤く追記した線が"タターン"の動き

実はこれ、少し名前がトリッキーな印象があります。個人的には、リズム練習と名付けられた譜例は普段の金子先生のレッスンで見聞きしたところでいう「連打練習」に近いものと感じています。そのため、一般的な「リズム練習」とは、意味合い・狙いが少し異なる印象を覚えます。

そのため、今回この記事では、あえて楽譜上の特徴や名前にはこだわらず、むしろそのアレンジの身体的な"弾き方"に着目していきたいと思います。
すなわち、"タターン"の動きとして扱いましょう。

弾き方、とりわけ身体の動かし方は、音価やフレーズと比べて作者の意図が楽譜などの記号に変換される過程でこぼれ落ちやすい情報だと思います。
だからこそ、この記事が作者の意図を復元する一助となれば幸いです。

"タターン"の動き ≒ プライオメトリックな動き?

金子先生はたびたび、生徒がコントロールしずらそうにしている特定のフレーズや指に対し、「その指や音を連打して練習しなさい」と声をかけられていました。
また、そのやり方についても、手首の返し方や瞬発力のニュアンスなどを細かく指導されていました。

具体的に今回は、人差し指を"タターン"と連続して練習するシチュレーションを想定してみましょう。ちょうど下記の動画(0分55秒以降、2分11秒以降)が該当します。

私はそのバネを使ったような"タターン"の動きが、スポーツ科学で度々取り上げられるプライオメトリックな動きに近いと感じていました。より詳しく述べると、ある特定の筋を、あえて外力によって伸長させてから素早く収縮させる動きを指します。

プライオメトリックを用いた実験


そこで、このようなプライオメトリックな指の運動を繰り返すと、実際に身体にどのような変化が生じるのか、また、その変化が鍵盤操作にどのような影響を及ぼしうるのかについて3年ほど前に実験的に考察しました。

実験的なプロセスや諸々の詳細が気になる方は、ぜひ原文(英文)をご覧ください!
Muramatsu, K., Oku, T. & Furuya, S. The plyometric activity as a conditioning to enhance strength and precision of the finger movements in pianists. Sci Rep 12, 22267 (2022)

どのような実験を行ったか : テスト→練習→テスト

  1. 音大生などのピアノに熟達した26名に、ピアノを使った演奏テストを行いました。演奏テストのルールは単純で、音量やテンポをできる限り一定で弾くという課題です。

テスト課題

2.課題を2回行う間に、練習タイムを設けました。参加者は、プライオ
 メトリックな動き("タターン"の動き)
を試してもらうグループと、
 テスト課題を繰り返し練習するグループとに分かれました。

どのようなことが分かったか:技能の向上

  1. 演奏テストの課題をひたすら練習したグループよりも、その課題とは一見異なるプライオメトリックな動き("タターン"の動き)を練習したグループの方が成績が良いという結果が出ました。

  2. 演奏テストの1回目と2回目の成績の変化が大きかった人は、打鍵の際の指の力発揮が大きく、すばやくなるという傾向がありました。

  3. また、身体的な変化として、前腕の筋温の上昇などもみられました。

実験全体の結果から、今回お話ししたい内容を抜粋してまとめると、繰り返し練習よりも"タターン"の動きを練習したグループは、リズムや音量を均等に弾く課題を、より忠実に再現することが出来たということが判明しました。
また、"タターン"の動きの練習によって、指を動かす筋肉の温度が上昇し、指の力発揮がしやすくなったことが、課題の成績向上に貢献したかもしれないという推測が立ちました。

ちなみに、ここでいう「成績」とは、指の運動技能を評価するテスト(一種のゲーム)のルールに則った文脈での話で、音楽における様々な評価の指標とは一旦切り離して考えていただけると幸いです。
この点は深く考えてみると面白い話題なので、少しだけ後述します。

"タターン"の動きの魅力


この練習方法のメリットのひとつは、ある特定のパッセージや指に苦手がある人にとってその指やパッセージを効率的に、また軽やかにコントロールできるようになるための、短期的な効果が認められる、という点ではないでしょうか。

つまり、"指セット"において”タターン”の動き(”指セット”内で言うところのリズム練習)に取り組むことは、各々の課題を洗練させたり、苦手な指の動きを改善させたりする効果として、”指セット”全体の目的を一層達成するための良い手段になってくれていると感じます。

また、その動きは筋温の上昇などが関係していることから、普段の練習のみならず、効率的なウォーミングアップとしても活用できるかもしれません。
例えば、手が冷えるような会場で演奏する際に、鍵盤がなくても演奏前に似たような動きをすることで、指や体をあたためる効果があるかもしれません。

長年の指導知に、 実験研究を織り交ぜること


ここまでの文章でもある程度触れておりますが、このように実験を通して予測(仮説)を検証することにはいくつかのメリット/デメリットが考えられます。

例えば、金子先生の練習方法の効果を実験的に検証するために、あえて課題とする動きを単純化したり、音楽の文脈を離れた評価指標を設定して実験しました。具体的には、今回の実験では肩や肘のことは度外視しており、実験ではその部位の結果への影響を無くす工夫が施されています。また、演奏テストをできるだけ均等に弾けるかどうかは音楽の良し悪しではなく、指の運動技能の指標と言えます。

このような方法はモデル化の一種と考えられます。調べたい対象(ここでは金子先生の連打練習)を、一度検証しやすい形やルールに近似(モデルに)して、それを検証することで対象とした動きの効果についての再現性や一般性が比較的担保された、形式知を作ることができます。
つまり、その検証で前提とされる範囲内では、いつ誰がやっても同じような効果を得られる可能性が高い形式の知識として保存することができるのです。(そのほかにも反証性などの大切な要素もあります。)

一方で、そのような方法論で保存できるものは、金子先生の眼差しの一側面にすぎないことが、第1回、第2回と続けてお読みいただいた方には伝わっていたら幸いです。
実験として単純化することは、上記に述べた形式知のメリットを得るためのいわば必要悪のようなプロセスであり、結果として説明される"タターン"の特徴や効果は、必ずしも金子先生の「連打練習」や「リズム練習」そのものではないということなのです。

したがって前回のわざ言語と今回の形式知とは、ある視点においては特徴がついになっていると言えるかもしれません。どちらも大切にしたいと個人的には思います。

わざ言語:その人の経験や主観、言葉の受け手との関係性を全て踏まえて、当人が捻り出した知識の表現形。非常に豊富で効果的なニュアンスを含むが、それを受容できる人やTPOが限られ、誰も正確にそれを説明できない。

形式知:属人的な要素(≒その人らしさ)や文脈をできる限り排除し、効果を抽出した知識の表現形。条件に従えばいつでも誰でもその恩恵にあずかりやすい一方で、あくまでオリジナルとは別物。
(※ここではモデル化と実験的仮説検証を経た知識のこと)

ピアノ演奏の身体の使い方にまつわる二つの知識について

特筆すべきは、金子先生が長年の指導の積み重ねによって洗練させてきた教示方法が、なんと「ピアノ演奏におけるプライオメトリック動作」とも呼べる動きに、偶然にも収斂していったと考えられる点です。
短距離走スポーツなどの瞬発力を要する競技において、オリンピアンなどのプロのアスリートを含めた方々の間でウォーミングアップやトレーニングとして広く使われている動きが、ピアノの世界でもこのように見出され、そして効果が実験的にも検証されたということは、とても面白いことではないでしょうか?

結びに

これまでの記事の中で金子先生の言葉を分析したり、指導法に実験的なエビデンスを付与する取り組みについてご紹介してきました。

先生の教えをいかにして残し、受け継いでいくのかという自分なりの試行錯誤が結果的に”指セット”の内容とこのようにコラボレーションさせていただくことができ、一人の弟子として大変嬉しく思っております。

次回もお楽しみに!