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格子に吸い込まれていく心


ここ数年、車で出かけているときなどにカバンや鍵などを必要以上に気にかけてしまう。

出かける時はカバンに財布などを入れて、それを車の助手席に置いておくのだが、走行中にふいにカバンの存在を思い出し

「あれ、カバン持ってきたっけ?」

とドキッとしてしまうのだ。すぐ左を向けばカバンが助手席に置いてあるし、それを見ると安心するのだが、カバンを確認するまで、ほんの一瞬だが焦ってしまう。そのくらいのことならまだ良いが、困ったことに一度カバンを確認してからも数十分すると、また

「あれ、カバンは?」

とドキっとしてしまうのだ。もちろんカバンは助手席に置いてある。なにしろカバンを確認してから何処にも立ち寄っていないのだ。絶対にカバンを失くしようがない。それなのにカバンを見るまでは焦ってしまう。
たまに荷物が多いときなど、カバンを後ろの席にでも置いて出発したときなどは、助手席にカバンが見当たらないことでオロオロと酷く動揺してしまうこともある。

歳のせいもあるだろうが、物忘れと心配性に拍車がかかっているのだろうか。

歩道を歩いているとたまに見かける格子状になっている排水口の蓋。その上を通るとき必ずと言っていいほど

「この中に何か落としたら……」

と考えてしまい不安になってしまう。大抵の場合は小さい物、具体的には家や車の鍵を落とすことを想像してしまう。だからといって、わざわざ格子を避けて歩いたりするのは嫌なので、そのまま上を通り過ぎるのだが、異常にそわそわしてしまい、鍵が入っているポケットをズボンの上から確認し、握りしめながら通り過ぎるようにしている。
少し大きめな柵だったりすると、それこそ落とさないようにスマートフォンを持つ手に力を入れてしまう。

実際に何かを落としたということもないのだが、格子の中に落とした鍵を想像して身構えてしまう。……もし車の鍵を落としたら? この格子をどうやって外せば良いのだろう? 中に水が入っている場合はもう終わりだ。車を置いていかなければならない。そうなると駐車場を管理している所へ連絡して、あとはどうやって帰るのか? 帰っても明日は取りに来なければならない……。

それこそ格子に持ち物どころか気持ちが吸い込まれしまう。

先月はショッピングモールで何処に車を停めたか忘れてしまい、途方に暮れてしまった。それからは大きな施設などの駐車場に着いたら必ず写真を撮るようにしているので迷うことはないのだが、先日は子供を車で迎えに行って帰路に着いたものの、あろうことか肝心の家を素通りしてしまい

「ねぇ、いま家を通り過ぎたけど、……大丈夫?」

と真顔で子供に心配されてしまった。自分の家を通り過ぎるなんて困ったものだ。

物忘れと心配性が入り乱れ、余計なことを考えては不安の念に苛まれる。

格子の上を通る度に負のエネルギーが吸い取られればリラックスしてその上を歩くのだけれど。









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